子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

古い思い込みをやめる

相変わらず、夫が出張三昧で平日・週末とワンオペ育児が続いている。平日は日帰りで青森・長野・大阪などが多く、週末は最近ずっと長野県。長野県のリンゴ系お菓子ってとてもハイレベルで、香料無添加のリンゴチップス、優秀✨素晴らしいリンゴの香り。というか、青森も長野もリンゴが美味すぎる。そりゃそうだよね、というツッコミになるのだろうけどね。近所のイオンとかでも青森産、長野産のリンゴを買えるし買っているけど。夫土産のリンゴは格別にうまい。産直のものでもいろんなルートを経てお店に並ぶから鮮度が落ちるってことでしょうか。

夫の帰宅を待つ私や子どもたちも、だんだんと夫不在に慣れて、お土産を楽しみにできるゆとりが生まれてきた。さらに、私の実家離れが加速しているので「実家を頼る」という案もほぼ皆無。

実家を頼らずとも快適にワンオペ育児をするコツが段々と見えてきた。もちろん、慣れもあるけど。それは「思い込みをやめる」ことにあった。

多くの人に当てはまるのか?一般的事実なのか、断言はできないけど…育児って大変だよね。子どもは自然の生き物だから、やりたいようにやるし、大人がそれを制御するってほぼほぼ不可能っていうか、無駄なエネルギーっていうか、子どもは食い散らかし、おもちゃをとっちらかし、食べながら遊んだり、べたべたべちゃべちゃするのが好きで、大人の声かけなんてまるで何も聞こえないかのように夢中になって遊ぶ。あ。我が子だけ?( ´∀` )

片づけても片づけてもすぐに散らかる。着替えてもすぐ汚れる。掃除も洗濯も溜まる一方みたいな光景。我が家は上が4歳♀、下が1歳♂の姉弟構成だから、おそらくこれでも穏やかに日々を送っているほうなのではないかと思う。

で、どんな思い込みを捨てたかというと「育児は大変」という思い込みを捨てた。いや、思い込みじゃないよね?さっき、大変って言ってたよね?そうそう大変だと思っているし、実に大変。一人で2人の世話って、休む間が皆無です。でももしかしたら「育児って大変じゃないのかも」と思える瞬間に出会うとき、つまり「かわいい」「すごい」「成長したな~」とか育児の中で起きる感動する出来事にフォーカスすれば「育児て楽しい、感動的、やりがいのある仕事だな」と思い込めるようになってきた。

一旦脳みその思考回路を「育児大変」から「育児楽しい」にシフトすると、結構うまくいきはじめた気がする。夫がいつも仕事でいなくて、私はいつも納期に追われるような日々でも「育児楽しい」という新しい思い込みができたから、脳みそは「育児楽しい」と思って、「大変さ」から解放される。

成功体験、という言葉が示す内容と同じ事例な気がする。「できない」を「できる・楽しい」に変えるのは小さな成功体験の積み重ね。勉強もスポーツもそうやって上達の糸口が見えたりするよね。ただし、「褒められる」「認められる」っていう快楽があるから脳が喜んで「報酬」を求めてまた「できる・楽しい」につながると思うけど、育児については誰も「褒めない」。そこが、古い思い込みをなかなか変えられないポイントなのかも。

家事もやって当たり前、育児もやって当たり前だとなかなかツライ。だって、日々が大変でなおかつ「成功報酬」なしだと、モチベーション下がるよね。

私については、家事は60点を目指すことにした。料理は毎日作るけど、30分程度で作れるように調理工夫をして、心の負担を軽減。家事は週1回くらいはちゃんとやるけど、他は機械に任せる、夫に任せる、またはやらない。大事なのは家事より育児。育児は4歳の娘にも協力してもらう。色んなことを共有する。報酬は「一緒に昼寝」「成長を時間する」ですかね、今のところ。

昨日は橋田 壽賀子さんがTVに出られていて、いろいろ感じることがあった。命について私の命も「頂いたもの」「助けられたもの」「再び与えてもらったもの」という思いが強くあるから、一生懸命生きるということが自分の中心にいつもある。そんなことを思いながら、橋田 壽賀子さんの話を聞き、こんな92歳に憧れる。

来年度に向けて

大学院への進学が目下の目標なのかもしれない。
それに向けて「何をどうしたいのか?」と、自分が成し遂げたい方向性について
それが何か、ずっと頭の中で会議が開かれている。

管理栄養士になった。講師としてもキャリア5年目。翻訳者としてはキャリア7年目。

大きな自己実現に向けて、社会貢献につながる活動に向かって行動したいと感が始めている。大学院進学をしたいと考えていた当初の気持ちは、「学歴向上」だった。向上した先には大学や短大などで教員すること、だった。いざ、大学院進学を具体的に考えるにあたって、当然ながら「何をどうしたいのか?」という目的について深く検討を繰り返している。

学歴は結果としてついてくる。2年間のうちに何を成し遂げたいのか?さらにどこへつなげたいのか?そのビジョンがあやふやだと1000%失敗するし、お金と時間の無駄は絶対嫌なので、もっともっと自分の思考を突き詰めて、あらゆることを明確にしなければならない。

社会人になって大学院に進学することは「明確な目的ありき」なはずなので、そこがあやふやだと、お金も時間も無駄になるだけ。無駄に使えるお金も時間も全くない。だから、検討に検討を重ねる日々です。

この検討を年度末までには決着付けて、新年度には候補の研究室へ教授訪問して、8月には願書作成…となるのだろうか。

研究者になりたい、という強い思いはないけど。食べることや健康に関して、世の中をどうにかしたいという気持ちがある。じゃあ、何が足りてないのか?どんな問題があるのか?社会の問題に一人一人が意識をしたり、取り組むというのはもはや避けられない世界、というか。インターネットが普及して「世界」はすごく小さくなった。だからこそ、世界のどこかで起こっている問題も、自分と無関係じゃないな、と思えてくる。

日本についていえば、これからますますいろいろな問題に直面することが言われてる。人口問題も、少子高齢化も、社会格差も、いろいろ社会的課題はたくさんある。

「食べる」という行為は色んなこととにつながってるから、壮大な問題(課題)の海を遠くから眺めて「何ができるんだろう?」と思っている心境。自分ができることがなんなのか、全然わからない。目の前の我が子たち、生徒たち、翻訳に向かう日々の中で、どんなことを問題と感じるだろう?

よりよい社会って、よりよい世界って、どんなところだろう。

頭の中にあるいろんな物事、経験、失敗のデータベースをひっくり返して、整理しています。

 

師走のあわただしさよ

12月も1週間が経過した。楽しいクリスマスやお正月を前にやらなければいけない仕事が山ほどある。眼精疲労と乾燥で目がツライ。でも、ありがたいことに
翻訳の仕事も山ほどある。

フリーランス翻訳者って、休みがない。休みがあったら、それは心配事で。自分でいかに調整してよいバランスを保つか、というのが非常に難しい。今朝方2件の納品を終えたところ。大型案件を1件受けているので、1月中旬までは気が抜けない。

今年は国家試験にやっと合格して、そこから色んな仕事に縁ができて(国試とは無関係の物も含む)、今年を振り返ると「色んな人にお世話になったなぁ・・・」としみじみ思う。

結婚5年目を迎えた年でもあり、親族もいろいろとよき方向へ進展があり。みんな健康で、暮らせるって本当に幸せ。健康あってこそ、です。

栄養セミナーという大仕事も無事に良い仕事で終えられた。年度末までは講義のことで頭がいっぱいの日々ですが、4クラス担当しているうち、3分の1は終わった。ほ。

あとは大掃除をちょこちょこやって、年賀状を書いて、クリスマスディナーを考えて、お世話になった方々にご挨拶に伺い、最終週は夫の実家でのんびりの予定。

今年も終わりますねー。

共働き論争―追記

先日のつづき。

お金のために働いていない、と書きましたが言葉が不足していると後々思ったので追記。つまり、生きていくため、子どもを育てるためのお金が必要なのは前提条件。で、お金のために働いていないのは「仕事にしっかりやりがいをもとめる」ということを書きたかった。

だから、夫も私も「家族のために働いている」の前提で、「仕事にやりがい」を求めていい。そのほうが、良い結果もついてくる。

お父さんもお母さんもイキイキ、働けていることを大切にしたい。ということでした。

共働き論争

「亭主元気で留守がいい」という言葉に疑問しかない。この言葉が生まれて30年くらい経つようだけど。この言葉が最終的には熟年離婚につながるのでは思っている。

家族って一体なに?

夫婦共働き(夫:会社員、妻:自営業兼非常勤職員)の我が家。夫は毎週末のように地方出張、平日は帰宅が夜9時という毎日。妻である私は自営業で週3日は外勤(非常勤)だけど、育児にはこだわりたいヒトだから毎朝3時から仕事に取り掛かり、17時までには保育園の迎も済ませ子供と一緒に家にいる、ということを自分のルールとしている。さらには上の子が小学校に進学すれば、学童へは預けずに育児の時間を広げたいとさえ考えている。また、子どもたち二人とも中学受験することに決めているため、受験サポートに徹底的に関わりたいと思っている。平凡な子ども(平凡な親だから)には学歴が必須だと考えているから。

そんな我が家。私は年度の後半から仕事が激務になる。でも夫は相変わらず出張三昧。で、こんな師走時期だから、飲み会も多くなる。ため息しか出ない私。なんとか、考え方を切り替えて頑張ってきたけど。とうとう限界きた(限界まで早かったな(笑))。多忙ながら育児・家事・仕事はなんとか夫不在でも思うようにできてはいた。だけど、心がもたない。当然だよね。息子はまだまだ手がかかるお年頃。早朝に仕事をしたって、授乳でなんどもお呼びがかかるんです。

父親が不在の毎日、このままでいいんだろうか?

夫と真剣に話し合い、当初は「亭主元気で留守がいい」と思えばいいじゃん、くらいのことを言われてはらわた煮えくり返りそうだった。ほんと、イライラ。お金のためにせっせと外で働く父親像はいつの時代か。家族の在り方とは、あなたが(夫)が考える家族って何なのか?散々、話し合い。長時間労働を是正しないと働き方は見直せない、という一つの結論が出た。そして、夫は人生において家族を大事にしたいと考えている、らしい。

すぐさま、夫は会社人事にメールを送り、来週火曜日に勤務形態について検討するための面談が開かれることになっている。私の希望として、定時に退社する日を少なくとも週3日。週末出張は月2日程度まで。それを実現するために私ができることは、外勤の出勤時間(現在7時30分過ぎには家を出る)を改め、保育園の送迎を丸ごと私が担当する。
代わりに夫は早朝7時代には出社して17時には退社。40分圏内の通勤時間なので、18時までには帰宅。平日はゆとりをもって育児ができる。週末出張については、私が代わりになにかできることはない。

「共働き」「家族」の在り方について考えているとき、デンマークと日本のジェンダー研究している美人大学院生(デンマーク人)のインタビュー記事にたどり着いた。そこでは、日本はもっと変わるべき、制度が追い付いてない、など私が「これこれ!」と思う内容で、共働きが当然の国がどういう家庭生活でうまくいっているのか、とても参考になった。

私は夫の給料を補うために仕事をしていない。自分の将来設計のため、より自分の人生が輝けるため、仕事をしている。だから、キャリアアップのための勉強は必須だし、お金がすべてではない。無償の仕事でも勉強になると思えば、なんだって引き受けるし、仕事をする判断基準は「自分のためになるのか」ということ。給与だけで選ぶことはない。

だから「無理しないで」「育児が大変なら仕事のペース落としたらいいじゃないか」とか言われるともーれつ頭にくるのだ。こいつ、わかってない。育児も家事もあなたも当事者なのに、わかってない。そういう思考でいるなら、夫婦ではいられない。仮に、夫婦を継続しても、熟年、それを待たず子どもの成人直後の離婚は免れない。家庭でのあなたの居場所はもうじき消失します。そう伝えて、やっと危機感が理解できた様子。

だから「亭主元気で留守がいい」が日本の「家族像」であったなら、時代遅れも甚だしく、男性を尊重せず、夫婦の在り方に疑問ばかりなのだ。息子を育てる母親としても、彼が将来父親になる日が不安で仕方ない。でも今後、専業主婦はますますいなくなると言われているわけだから、より良い社会環境づくりのためにもまず、世の中から消し去りたい思考「亭主元気で留守がいい」だよ。

夫はお金を稼ぐ人、妻は家庭を守る人。分担すると責任の所在も分かりやすいのかもしれないし、女性が社会で働き家族を養うだけのお金を稼ぐのは難しいかったのかもしれない。でも、今は男性一人の給料で生涯家族を養うほうが無理だよね。終身雇用制度もないわけだし。

出産は女性の仕事、というのは疑いようもない事実。だけど、家事・育児・仕事は絶対に「夫婦」で取り組むべき仕事だと思う。それぞれの割合は家庭ごとに違うだろうし、違っていいだろうけど。専業主婦だろうが、共働きだろうが「夫婦」で取り組むべき、というのは変わらないはず。

日本の「家族」の在り方がより良くなれば、もっと日本は良くなるはず。

 

 

小さな決意

前向きな言葉に変換しよう。忙しいとついつい、ネガティブな言葉や発想につながっていく。とくに、夫にかける言葉が厳しくなる(自覚あり)。
でも言葉が厳しくなると、夫は辛くなり、より良く働かなくなる(こちらの思惑通りには)。だったら、嘘でも褒めちぎってしまったほうが、手玉にコロコロいけるやつじゃ?っていうのは頭では前から知ってるんだけどね。だって、男の人って素直な生き物だから。頼られたい生きもの。でも、女からすると得意げになってる割に、できてないよね~って突っ込みたくなる感じでもあるわけで。

夫婦とも働いていて、お互いしっかり稼いでるんだから、共に子育てに励んで、家事も分担して!って思ってたし、そんなの当然だと思ってたけど。夫はこちらが思うように家事をするわけでなく、夫が思うように家事をする。だから私の満足度を満たさない場合が多いけど、そこを求めていくたびにいさかい(といえど、プリプリ怒ってるのはわたしだけ)起きてる。

はたと。これで誰が幸せになった?

そう思うと、いろいろ言われた夫はもちろんだけど、私自身も決してハッピーにはなってないよな。いや、むしろムカムカ倍増↗みたいなね。悪循環のできあがり。だったら、もうチクチクとげのある嫌味を夫にぶつけることはやめにしませんか?と自分に言ってみる。だって、私が(誰かが)幸せになるならまだしも、だれ一人幸せにはならない。さらに、言ったところで家事が片付いたり、理想的な状況がやってくる兆しはないのだから。

だったら、丸ごと夫のすべてを受け止めてフォローしたほうが楽じゃないか?

共働きでも、平等に家事育児をこなすのは無理だ。という前提を許容し、たとえ私のほうが稼ぎが多くても(自営業だから波がある)、だったらお前働けよ!みたいな?主従関係・・・(笑)を作るわけでもなく(収入の高低で家事分担を分けるのではなく)。夫のできないことを未完全なところをフォローすることを一つの仕事としてとらえるか、もしくはすべて自分でやる気持ちでいつもいる。だったら、夫が分担としてやってくれていることは非常にありがたいことで、こちらの仕事が増えるばかりの出来栄えならいっそやらせなければよい。

なんだか、上から目線すぎ?

でも、育児はどうしても分担できないことが多い。また、我が家のように夫が毎週末のように出張ある、帰り遅い、子どもは2人、で終日ほぼワンオペ育児みたいになってくると、本当に休む暇がないのだ。その状況を「ツライ」としても何も変わらず「夫家事しろ」とシャウトしたり念じても、洗濯ものはしわをのばさずに干すのだ(何度言っても直らない)。

じゃあ、全部受け入れよう。

家事分担を請け負いつつ、成果が低い夫も、出張ばっかでいつも家にいない夫も、私がワンオペなのも、仕事がハードなことも、なんでもかんでも。ぜーんぶぜんぶ。全てをまるごと受け入れて、すべて「ありがたい」と考える。そうすると、不思議と幸せを見出せるかもしれない。状況は何一つ変わっていなくても、だ。

そうそう、幸せはいつも心が決めるのよね。って相田みつを言ってるもんね。

だから、私の心が幸せで満たされるために、すべてを受け入れることから始めて、
とにかく夫を褒めまくって、楽しく過ごしてもらう。子どもたちについても、食事中に正しいマナーは教えるけど、ある程度教えたらほっといてそれを受け止めればいい。部屋が汚れてイライラするし、息子はあちこち引出からもの引っ張り出して放置するけど、片づければいい。こういう一つ一つを「大変だ」「ツライ」「休みたいのに休めない」とか考えてると、それ自体がつらい。

やーめた。つらいこと全部やめた!今日からhappythinkingでいこう。と決意してみる。

話題の本を読みました

「君たちはどう生きるか」を読んだ。前から気になりつつ、図書館で借りたらいいやと思って予約していた(待ち人数60人(゚д゚))。でも昨日、ふと時間ができてスタバが入るショッピングモールでこの本を迷いつつも買い、読んだらアマゾンでそっこー売ろう!高く売れるはず、と思いながらスタバに入ったのだけど。読み終えた今、何度も読み返したくなっている。

話題の本、ってだけでミーハー感半端なくていやだけど。話題になるほどの本はやっぱり話題になるほど素晴らしかった。人としてどうあるべきか、どうあっていいのか、という事が良く分かる。すごく当たり前のことが書いているようで、すごく難しいことでもあり。とてもちっぽけなようで、かなり壮大な世界がつまった1冊。

これから何度となく読むし、娘が字を読めるようになってきたら一緒に読みたい。

この本を読んだ今の私が感じた事。
・世界の偉人伝も読みたい
・親子の関係について。たとえ自分の親であれ、ちゃんと「オカシイ」と思っていい。そう思った自分の気持ちを大切にしていい。そう感じた気持ちを無視しちゃいけない。
・自分がいまここに成り立っているのは見えないいろいろなものがつながっていることは知っていたけど、大人だから。食料経済について勉強中なのでもっと深めていきたい。そして、人として、栄養学を志すものとして、どうあるべきか?考えて、実践したい。
・心が喜ぶことはなにか?自分の心の声を無視しない
・私の暮らしがどこからきてるのか気持ちを向けたい、コペル君の網目の法則
・どんな生産的なことをしているんだろう?わたし

まさか。こんなにも感動するなんて。

本を読みながら、終始2つのことを思い浮かべていた。
1つはミスチルの「タガタメ」という歌。この歌の歌詞のなかで
【左の人 右の人 ふとした場所で きっと 繋がってるから】
【片一方を裁けないよな 僕らは連鎖する生きもんだよ】

もう1つは高校時代の同級生で友達のさえちゃん。いまはきっと世界のどこか、たぶんシンガポールに住んでるんだろうけど。私たちが28歳くらいのとき、彼女がいっていたこと、ひたすら私に話していたことの話が、ようやく腑に落ちた心地。彼女はいまどうしてるかな。彼女にはこういう世界がみえていたんだな、今になりようやく私にも見えてきた。1冊の本のおかげで、よりクリアに。

「健康の社会格差」と「国際栄養」というのが私のいまおかれている栄養学に関わる場所でのキーワードになってる。翻訳では食料経済や世界の食糧事情に関する内容を翻訳している。つまり、国際栄養関連だけど。

いろんなことがつながってく。どんどん。親となった今、子どもも巻き込み考えてかなきゃいけない。問題意識の低かった私を過去にしないといけない。今こそ。