子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

これぞアラフォー?疲労回復しない

キャンプでワイワイにぎやかにやっちゃった週末から早4日目。
いまだに疲労感ずっしりの体。子供たちの過激な振る舞いに泣けてきちゃう心。
心身共に疲労困憊中です。まったく、擦り切れ雑巾。

キャンプのために仕事を全力でこなして、キャンプから帰宅して
いつもの仕事をこなしているだけなのに。
しかもここ数日、ちょっといい夢?みちゃって、続き見たさに早起きもできず。
4時起き(通常は3時始動)。なのにねむイ。なぜ。
仕事について、講義が8回目が終わり。折り返しきたきた、って思ったものの。
ありがたいことに、翻訳の仕事も、研究支援業務も忙しい。

仕事の忙しさって、逃げられないし、適当な仕事できないしで、辛いんだな。何より、眠いわ。なんでだろう。

昨日も娘の些細な一言に悲しくなって、泣く。ゆりちかちゃんの番組みて、
どうしようもなく泣く。朝は夫がいつもの話聞いてないかげんに、泣く。
疲れて、( ;∀;)涙がでてくるのかな。相当だよね。

で、昨日は子供たちがアメシャン(水たまりに頭を自ら突っ込む)して、びしょびしょで、いつもなら大笑いだけど、怒る気力もなく、悲しい。

朝から息子が白い壁に得意げになにか描いてる。しかも油性ペンで。これには、激高。

こんなこと(笑えないような心身の状態)が続いては、周りにも心配や迷惑をかけたり
子供にも申し訳ないので…ささっと仕事を片付け、お迎えの時間まで
眠りたい。

 

他人軸で生きない

気が付けば6月突入。梅雨間近のせいか、あつーい毎日です。

不安が多かった大人数キャンプが無事終わり、ホッとしたのと同時に
子供たちの成長と私自身の人間不信の改善を感じている所。
結局、完璧主義な人って八方美人にもなりがちで、さらに自己顕示欲も人より強いから
他人から見た自分がきになり、人間不信に陥ているっていうバカループ突入。

今回のキャンプは総勢25人!!!という、まるでモンゴルの民族移動のような規模でのキャンプでした。だから、いろんな人がいる、パパがいる、子供がいる、ベビーがいる。そもそもママ友とか苦手!って感じていた私にとっては苦行そのもの…とさえ思っていたのだけど。

それもこれも、完璧主義的な自分の正確が災いしているのだなぁ~なんて。実感したり。だってわが夫。他のパパたちと比べてみると、とっても浮き浮きキャラだったんだけど。当の本人は「ありの~ままの~姿みせるのよ~」の人なので、一切気にせず。全く人に流されない、かと言って協調性はちゃんともってる人。

ママ友からは「パパ素敵だねー」と言われてデレデレの普通の人。でも「ありの~ままの~」で生きているから、とても生きやすそう。

そして夫からすると、私はとても生きにくそうで、いつも人付き合い辛そうさんだそう。わたしも自覚してたけどね。

なにがどうしてそんなにも苦手なのかな?!って今いちよくわからず。ありのままで生きられたらなーと夫をみていて思う日々でしたが。その辺の自分自身の不具合も解決の糸口が見えてきたと思う。

結局はいつもベクトルが自分にばっかり向いてるやつなんだな、私。
だから人からどう見られ、どう思われるかが気になり、他人軸で生きてるよね。
家族の前では素っ裸の心で生きているから、ありのままだけど。

キャンプを終えて、私の心も少し前進できました。

 

Oisixに夢中

アメフトの悪質タックルのニュースに毎日イライラしっぱなしです。
青年が人前に顔と名前をさらして、自分の行動の過ちを認めているというのに。
くそ大人たちに腹立たしくて、もう泣けてきます。

毎日テレビにイライラしっぱなしですが、そんななかで最近始めたOisixに夢中です。

家計管理をしやすく、買い物に行かなくて済む、ってことが当初の宅配の目的で。そこに、健康・安全という目的を入れたら、Oisixを始めることに。野菜のおいしさに感動しっぱなし。驚くおいしさって、こういうことだわーって。。。今までのトマトって、こんなに薄味だった?と。

肉は300円/g程度の値段で、とてもリーズナブルとは言えませんが。おいしい。

いままで、料理をする「味付け」が第一、っておもってきたけどね。味付けなんて、不要なんだわ。おいしい素材さえあれば。

我が家のレンタル農園からも間引き作業で収穫があって、その野菜もまたおいしい。
完全無農薬、でも思いっきりド素人の農作業だけど。おいしい。
スーパーで売られている野菜とどうしてこんなにも違うんだろう。

いろいろ知りたいことが増えました。

 

人生は短い

GWがあっという間に終わって、日常のあわただしさが戻ってきた。それでも、
連休前より連休後の方が、新しい気づきを生かそう!って日々過ごしているせいか、
ちょっとずつ快適になってきた気がする。それに、義父からいろんな話を聞かせてもらい、心のままに生きるって、やっぱ大切。だなんて、思った休暇でした。

最近暇さえあれば、gossip girlアマゾンプライムビデオで観まくってるんだけど。つくづく、面白い。教訓もあるし、目も楽しい。友情や家族の絆、人々の成長が感慨深い。

昨日はtedで「時間という財産」という日本人プレゼンター(Hidetaka Nagaokaさん)の話を聞いた。で、自分の時間の使い方について紙に書きだしてみて、気づきを得た。私は以前、翻訳会社にいた。本であふれかえる会社だったのだけど、社長の本はどれも読み放題で、そのうちの1冊。枝廣淳子さんの「朝2時起きで、なんでもできる!」を読んで、大きく人生が変わった気がしている。この本を読んで以来、私は3時起き(今日は2時起き)の超朝型生活がスタートした。24歳だった。当時、翻訳会社で校正者として勤務していたのだけど、超朝型生活にして翻訳の勉強を始めたんだったな。

それから4年後。

フリーランス翻訳者として仕事がもらえるようになり、転職。兼業翻訳者としてとある研究機関の国際部署で8年つとめ、その間に非常勤講師になり、大学にも進学して(現在は退学)、結婚し、管理栄養士になり、今に至る。今も翻訳と管理栄養士と2足の草鞋生活。

そんなことを、tedを見ながら思い出していた。「わたし、人生2回生きてたんだ」って思っていた。自覚的じゃなかったけど。枝廣さんの本をきっかけに、ある意味常識を捨てて、ライスワークとライフワークを両立させていたら、ライフワークがライスワークにもなった。ある意味、人生を変えた1冊なのかもしれない。

だけど、人に「3時起きです」っていうのがなんか、ガリ勉みたいで?恥ずかしくて、言えない。でもそれも枡さん(アナウンサー)の「3時にスタジオ入り」って話をテレビで観て以来、「わたしもアナウンサーと同じ」と思ったら、いまだに積極的に人には話さないけど、なんか「人とは違う、浮いてる」みたいな、感じがなくなったような。でも、そんなのどーでもいいか。

人生は短い。時間がない、なんて言ってられない。

枝廣さんの本を読んだのが24歳で、その後、30歳過ぎて子育てに追われるなかでも、国家試験に挑戦を始めたころ、吉田穂波先生の「時間がない、からなんでもできる!」を読んだ。それで、子供がいて、育児があってもやり遂げられる、という気持ちを得て。国家試験を乗り越えた。吉田先生の忙しさと比較するなんておこがましいのは1万も承知だけどね。さらに、育児に手抜きできない性分だけど。自分のなかにあった「育児で忙しい、だからできない」って言い訳がきれいに流されて、目からうろこで、、、っていう衝撃を覚えている。

2時起きのすすめ、を読んで実行する人はどのくらいいるのだろうか?あんまりいない気がする。

ずいぶん前に出た翻訳セミナーで。ちょっと癖の強い翻訳者が(私の知る限り、翻訳を生業にしている人は一癖あるひとばかり)言っていた。「私がいまここで、儲かる翻訳者になるためのノウハウを説明して、この会場で実践するのは何%でしょうか?1%未満だと思います。」というようなことを言っていた。つまり、「翻訳で稼げるっていーな!」と思っているくせに、「この方法でやれば稼げるよ!」と聞いても「○○さんだからできたんでしょ。」みたいに、実行しないやつばかり。ということ。

人は言い訳がましい生き物。すぐにできない理由を探す。やらない自分を正当化する。

人生は短い。いつ終えるのかわからない。だから、いますぐ取り掛かるしかない。言い訳を考える時間に、1歩でも1寸でも、先に行く。

問題は、やるのかやらないのか、ってこと。「もしも」のまだ起きていない不安で動けなくなる前に、自分の心に従ってすぐに動く。自分を信じられるかどうか、ってことなのかもね。

 

 

心地よさの実現に向けて考えてみる

今年は10連休。海外とか行くのもいいけど、我が家はここ数年GWは3世代旅行です。
夫の両親とともに夫実家を拠点に温泉行ったり、軽井沢いったり、BQしたり、キャンプしたり、スキーしたりと1泊旅行を入れつつ、手軽な旅を楽しんでいます。

で、今年のGWは温泉、釣り、サファリパークやこんにゃくパークなどなど。連日どこかしらへ出かけ、充実した連休。幸い私の仕事もゆるいペースなので、結構朝寝坊したり、PC開いても海外ドラマをひたすら観るだけ、という感じ。

プレジデントを読みお金についてあれこれ思索したり、LEE読んで自分の年齢を思い出したり(笑)。普段はできないこと、時間にゆとりをもつ、朝寝坊、ご飯をつくらない!とか。とにかく、のんびりしています。ゆるむ時間。

連休だけじゃなくて、日々のなかにももう少し「緩急」つけた方が、仕事にも成果が出せるのではないだろうか。実際、こういう連休で「休みます」宣言できないとき、仕事が多くて。集中力が低いというわけではないように思うけど、なかなか仕事が完了しないのは、育児に手がかかるから?息子の深夜授乳も一因ではあるけど、なにか、どこかにもっと「心地よい仕組みづくり」が必要な気がする。ゆっくり考えられる今こそ考えたい。

仕事もほとんど自営業。職場も近距離で、さらに自宅での作業も認められている。
保育園も近距離。実家の手助けは全くないけど、仕事や住環境を整えたから、以前と比べてかなり快適なったはずだけどな。「大変さ」「休みがない」と感じるし、「いつも仕事に追われている」って感じ。その繰り返しが小さな「フラストレーション」につながって、蓄積されて「心地よさ」とは遠くなる。

じゃあ、私がイメージする心地よさって?

例えば、この連休。実家の手助けがあることは「夕食づくり」「洗濯干す」くらいなのかな。あとは仕事量少ない。だからストレスが少ない?逆に夫は息子に戻っちゃって、たいして手伝わなくなるしな(笑)ということは、夕食づくりを簡単にして、洗濯を乾燥機に任せれば解決するのかな?

でも、平時の夕食づくりはわりと簡単。かかっても1時間未満だし。洗濯にかんしても「畳まない」洗濯にしたことで、結構簡単になった。心地よさには「減らす」「やらないと決める」が必要なのかな。

平時の仕事量、タイムスケジュールを洗い出してみよう。そしたら、何に「大変さ」と「心地良くない」が原因となっているのかわかるかもしれない。連休の特別感を楽しむのはこういう「育児ラク」じゃなくて、特別な体験を楽しみたいから。

平時から「大変さ」「心地悪さ」を「気楽に」「心地よい」へシフトできて、特別な休暇の時間は特別な体験を重視したい。心から「楽しむ」。子供のための連休じゃなくて、大人も子供も全力で楽しむ「体験」をしたい。

そういうことを「誰かの助けがないとできない」って制限付きにするのではなくて、
日常的に「気楽に」「心地よい」を考えて追及したい。その方が、結果的に「いい育児」「いい仕事」「いい夫婦関係」につながるはずだからさ。

特別を待つ日常は嫌だ。特別な日を全力投球する、全力で楽しむためにも、
平時が大事だわ。まずは、やっぱり洗い出しだね。

大学を退学

なんだか、あっという間にもう5月か。早すぎて目が回るわ。

4月から料理カードの翻訳作成(9セット)という知的&精神的重労働にとりかかってて、昨日にようやく完成した。解放感半端ない。その解放感と、真夏のような日差しの強さにやられて、完全に疲れ切った。と同時にやり遂げたという達成感と安心感でいっぱい。

翻訳もそうだけど、切羽詰まった状態、だめだな。計画的にコツコツと。

大学のこと、ずーっと検討していて、結果として退学することにした。
理由は、書類手続き(レポートやら、なにもかも)の煩雑さが、いまの自分の環境では乗り越えて卒業するに至らないだろうと判断したから。
もともと、管理栄養士試験のために学びなおしを決意して進学と学位をとることを目的にしていた。管理栄養士は無事取得したから、あとは学位。大学院進学を念頭においた大学学位なので、「卒業できる」ことに重点を置いて検討を続けて、結局退学することにした。

時間の使い方、という点で乗り越えることが難しいな、って思った。大学の勉強がない今の状態でも仕事、家事、育児でへとへとの毎日。そんななかで、国試に合格したのはほんと、よくできたなー二度としたくないや、と思う(笑)。

子育てのかわいい、癒しの時期?に自分のことだけに集中するのはもったいない、と感じてて。優先順位は育児と仕事、が同列。家事は夫と協力でシステマティックに手抜きする!ここに学業を加えるなら、勉強環境を整えないと無理だなーって、、、って感じてて。多くのこと(事務手続きからレポート提出やスクーリング)をオンラインで可能な大学にすることが、いまの状況で学位を取得するためには向いているのでは、という結論に達した。

限られた持ち時間をどう使うのか、ということがいつも課題。
さらに精神的充実感を得るためにも趣味に対する取り組みや「優先度の低い重要なこと」への時間配分も大切だな、って強く思ってる。

今年のGWは若干仕事をセーブしつつ、時間を確保して第二領域「優先度の低い重要なこと」に取り組みたい。まずは、内容のリスト化だ。

生きる

某朝番組でおばあちゃんのユーチューバーの特集をみた。
居酒屋で出会った若者ユーチューブ動画を作ってアップする。
他には自分で撮影、編集もやってしまうおばあちゃんまで。
先日の洞窟王といい、完全にハートをわしづかみされちゃった。

生きざまが清々しい、っていうか。
悩みはもちろんあるだろうけど、あぁ素敵。

がんで惜しまれて亡くなったアナウンサーの言葉。
「なりたい自分になる」
私は時々この言葉を思います。

私自身、大病をして生死をさまよい、助けられた命。
病院で苦しんでいる最中、「絶対死なない」「まだまだやりたいことがあるんだから」
とひたすら思い続けていた。22歳。

だから、いつか人は死ぬ、ってことを実感した。
幸い命がつながって、もう一度生きる道に進むことができた。
人生、どんなことが起きるかわからない。

「なりたい自分になる」

人生、どんなことが起きるかわからないから
だれかに遠慮して、自分のやりたいことをやらずに
いることは違うと感じる。
人生、いつかは終わる。

だから、持てる力を出し惜しみすることなく
全力で「なりた自分」に向かって進んでいる。

おばあちゃんユーチューバーを見た時も、洞窟王をみたときも
「なりたい自分に全力で生きている」姿に惚れ惚れしたんだと思う。

人の社会で生きていくには歩調を合わせたり、自分を曲げることが
求められることもあるかもしれない。でも、
何かを理由にして「なりたい自分」になる努力をしないのは、
単になりたくないんじゃ?と自分に問いかけてみる。

37歳を前にして、いろんなことがだんだんと吹っ切れてきた。

苦手なママ友づきあいも、軽く割り切れる、その時を全力で楽しむ
って考えにシフトしてきた。

人生100年時代か。

それでも、やっぱり、人はいつ死ぬかわかんないよね。
だから「やりたいことやる。なりたい自分になる。」と
どんな時でも自分の生きる姿勢にしたい。

だって、人生いつか終わるからさ。
いまは止まらない。

ちょっとした感動が原動力になってるなー