子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

ありがとうを伝えたい

実家の両親が引っ越して、妹家族と同居することになった。

これまで我が家と実家は同じ区の、同じ地域に住んでいた。我が家は1丁目、実家は3丁目。まさに「スープの冷めない距離」ってやつ。

私の父は孫キチで、なんでも買い与え、なんでも(あげたくないコンビニ飯やお菓子類など)食べさせる。ことあるごとに、暇さえあれば我が家にアポなしで遊びに来ては、私を困らせ、子供たちをわくわくさせていた。

新しい実家は我が家から電車と徒歩合わせ40分ぐらい先にある駅に住みはじめた。
電車こそ乗り換えないから、楽ちんだけど。駅徒歩15分はなかなか遠い。

昨日、子供たちと児童館へ出かけた帰りに、誰もいない旧実家へ行ってみた。

3LDKの賃貸マンション住まい。私がSLEを発症して、闘病して退院するとき、当時付き合っていた人と住んでいた家を離れ、実家に戻ることになったのだけど。半年ちょっとの入院、うち3か月は寝たきり状態だったので、杖なしでは歩けなかった当時。大きなベッドが必要で、以前までの実家から引っ越すことになったのだった。

出戻りで、しかも一度は死にかけて、迷惑も心配も山ほどかけたてきたな。

昨年11月くらいには母親の物言いですごい激怒していた私。心配するあまり、そんな物言いになったことも、不器用な人だということもわかってはいるけど。心配するあまり、子供を縛り付けておくことは親にはできないし、だから私は20歳ですぐに家を出たかった。親の干渉がうっとうしくて、早く自力で生きていきたかったんだ。

そこからSLEになって自宅に戻ることになるまで、約2年ちょっと。SLEになって自宅にもどってからは結婚するまで8年近く住んだ我が家。もうないんだな、ということを目でみたら無性に寂しくて、いろんな気持ち、いろんな思いでが全身を駆け巡るようで、止まらない時の経過を感じざる得なかった。

それと同時にわたしはどこまでも自立ができてなかったのかな、と思った。

だから、自立すべく背中を押されたのかも。頼れる実家が近いことは本当に頼もしく、育児につかれたときの心の憩いでもあり、迷惑に感じているときも多かった父の孫キチ振りも、今となってみればありがたく、懐かしい。

って、死んだわけじゃないのに笑。

こういう寂しさを味わうことはわかっていたから、去年の夏ごろから少しずつ実家に出向く頻度を意識的に減らしていた。そのことは、今の自分を助けてくれていると思う。
寂しさは和らいでいると思うし、育児についても、ワンオペ育児もマスタークラスだと思う。

毎週末のように、地方出張で夫がいない。平日は22時以降の帰宅。私は在宅翻訳者兼非常勤職員で、仕事をまったくしない日なんてないのだ。でも育児もしっかりやりたいっていう、やりたがりぶりで。手抜きが苦手なタイプ。

そんな自分を支えてくれていたのは、心の拠り所になっていたのは、やっぱり近所にある実家の存在だったな。ありがたかった。ありがとう!ありがとう!ありがとう!

たくさん、ありがとうを伝えたい。

次は我が家が引っ越しの番。保育園にも小学校にもめっちゃ近くなるし、大きな公園まで5分圏内。寂しくなったら、緑の中へ出かけてリフレッシュして、気持ちを切り替えたい。