子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

いかにして生きるのか

命あるもの、いつかは必ず死ぬ。誰しもが死に向かって、毎日を生きている。でももしかしたら、その日はある日突然、何の前触れもなくやってくるかもしれないし、それがいつなのか誰も知らない。

22歳の時に「あと2、3日がやまです」と言われた日から約14年。おかげさまで、毎日元気です。持病とは上手に仲良くできている。でも死にかけるほど悪化したのに、その後1度も悪くなったことがない。これまで2度の出産があったのに、だ。ありがたいという言葉じゃあ足りない。

命が終わらなかっただけでなく、そのあとの回復も素晴らしかったそうだ(家族から聞いた話で記憶なし)。人生が終わりかけてる病院のベッドの上で強く思ってたことは「まだ死ねない。絶対死ねない。死ぬわけにいかない。」ということばかり。22歳っていう、若さ全開で何やってもハッピー!みたいな?時期を病院で過ごし、退院後も1年は自宅療養とリハビリ生活だった。もう14年近く前なんだな。驚き。

先月36歳になり、アラフォーかぁ…と先の人生に思いを巡らせあれこれ考えていたけど。日本人女性の平均寿命は86歳、健康寿命は74歳くらい。かりに平均寿命まで生きたとして残り半分の人生で、健康寿命を考えると40年くらいしかない!!!!みたいな気持ちになっています。事あるごとに。

死にかけた後、私の人生は大きく大きく変化した。生きることにすごく貪欲になり、仕事でもプライベートでも120%全力で生きていた。病期を支えてくれた母からはいつも「そんなに生き急ぐな。また死にかけるよ。命を大事にして。」と何度となく言われてきたけど、120%全力で生きることの、どこが「命を大事にしていない」のかわからない。まぁ、それくらい心配かけてしまったことは十分理解しているつもりだけど。

『人生一度きり』って本当だな、ほんとに人は死ぬんだな、と生死をさまよう経験で実感したから、のんびりなんてしちゃいられないー!っていつも心がいってます。

いかに時間をつかうのか?

それが私の中心テーマになっている。この人生を生き抜きたい。やりきった!という思いで最期を迎えたい。そんなことを思うくせに、くだらないことで悩んだりもする。人生はやっぱりくだらないのかもしれない。全てはただの暇つぶしなのかもしれない。たとえそうでも、生きているうちにしたいことは増えるばかりで。

会いたい人、行きたい場所、食べたいもの、たくさんたくさんある。
夫と子どもたちと出会ってからは、with themって感じでやりたいことはうなぎのぼりに増加中。だから、いつもやりたいことリストがめーいっぱい埋まってて。いつでも必ず自分にきく。

その時間は有効か?

生きてる時間は有限。これって忘れがちだけど、どんなことも何一つ永遠じゃないのよねー。だからいつも「〇〇を▲▲までにやる」といった期限付き目標が手帳にリストアップされてる。こんな生き方をしてると「バイタリティがあるね」「エネルギッシュだね」とかなにかと「頑張ってる人」分類されるけど。ぼーっとしてるのが苦手なだけなのだ。ゆるゆるのんびり生きていけない症。

それでも子どもたちが大学に進学したら、夫と2人で軽井沢へ移住すると決めています。のんびりを求めて、というよりは緑に囲まれて、やりたいように仕事をすること、生きたいようにいきることをもっとしたいから。18歳過ぎたら家を出し、それぞれ一人暮らしをしてもらうこと、は夫が決めていること。そう思うと、子どもたちと過ごせる時間なんて、育児させてもらえる時間なんて、あと15年もないなと思うと毎日が宝物。

やっぱり時間だ。時は金なり。

 

明日死ぬかのように生きよ。

永遠に生きるかのように学べ。

ガンジーも言っている。