子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

ゼロからイチへ

「噓から出た実」
と、夫は言う。私も同感。でも、ちょっとこの言い方は嘘つき呼ばわりされてる感
があるから、もう少し言い方を変えて
「千里の道も一歩より」
にしておこうかな。

何の話かと言えば、私の現状を示す言葉。

もともとはろくでなし?だったのだけど、今はそのろくでなし時代には想像もしな
かった場所にいるし、その先に向かおうとしている。
ヤンキーが政治家になる話ほど、畏れた話じゃないけど。

SLEがきっかけであの世に行きかけ、人工呼吸器に助けてもらい、なんとか生還!
だがその後は無職になり、社会生活復帰は無理!と医者に言われた22歳。
海外留学の夢半ば、近所のジムで朝からリハビリに励んで、今後の人生どうしよう?
と思っていたのだ。それでも、生かしてもらえてありがとう!!!って気持ち
が先立っていたから、決して「お先真っ暗」とは思ってなかった。

ジムで友達ができ、順調にステロイド服薬も減り、体力も回復して、というまで1年はかかった。

人並の生活に戻ってきた24歳、海外留学の夢を思い出して英語の勉強に励み
翻訳会社にパート勤務として採用された。そこから、いろいろなことが
変化してきた。

翻訳会社に勤務していた期間は4年間。たくさんの素晴らしい出会いに恵まれ、わたしも必死に勉強して、フリーランス翻訳者として某社に登録。会社を退社した。
とはいえ、英語だけで食べていけるのか?という自分の能力に自信がないこと、20代そこらで、自宅にこもって翻訳ばっかしてていいの?もっと社会とかかわったり、専門分社を磨いた方がいいのでは?という思いがあった。私の専門は栄養学。でも翻訳分野は工学系。ここ、もっとどうにかならないかな?と思っていた。

そこで研究所の非常勤職員へエントリー。栄養士免許があって英語得意な人、って枠だった。英語は得意じゃないけど、、、と思いつつの応募。見事、即採用。
そこから7年勤務することになるなんて、夢にも思いませんでした。

7年間、兼業翻訳者をしてきた。外勤と在宅との両立は本当に大変だった。納期に追われていても出勤。なんとかやってきた、という感じ。研究所の仕事は面白いことばかりでもないのだけど、いろんな人に出会えて、いろんな発見があって、とても刺激的だった。

7年間のうち、非常勤講師の職を得た、夫を得た、管理栄養士の免許を得た。

非常勤講師の職は、所内関係者からのおさがり業務。夫は所内先輩のお友達であり、私の大学後輩。合コン的なやつではなく、普通の飲み会で、先輩の友人として出会った。あー不思議。

そして、入所当初は全然思ってもなかったけど、管理栄養士になった。大震災がきっかけだった。

結婚後、2人の子供を出産。非常勤職員でありながら、2度も産休もいただき職場復帰。昨年3月からは、所内関係者からの依頼で、栄養関連の翻訳をやり始めた。そして、所内関係者の依頼のもと別の研究所へも並行して勤務開始したのも昨年度。

いろいろ検討して、今年度で長年お世話になった研究所を退職し、新しい研究所のみに勤務することを決めた。そして、大学院を目指している真っ最中。

なんか、履歴書みたいなブログになったけど。いま、研究テーマについていろいろ詰めていて、研究室訪問に向けて動き始めた。研究者を目指しているのか?といえば、NOだけど。栄養学をもっともっと極めていきたいな、という気持ちだ。

人生ってよくわからんですね。
でもすべてはやはり「みなさまのおかげです」に尽きると思う。
私の力じゃ何一つ実現できなかったんだと思う。本当に。
だから、人に尽くしていきたい。
必要としてもらえるならば、全力で応えたい。
そこで、心からやりたいと思えることを全力でやっていきたい。

すべては「NO」と言わない、私から始まっている気もする笑