子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

図々しく鈍感に

夫という生き物は、妻のいうことを右から左へスルーする。
なのだろうか。
夫に言わせると「要求が高い」とかいう話になってしまうけど、
私に言わせると「わかった、というくせに全く行動に変わらない」という反論。

今朝、子供部屋がゴミ屋敷と化していたことがトリガーとなり
いよいよ私の中のスイッチが入った。ぶち!っと切れた。


夫も子供たちもやりたい放題、やりやがってー!ばぁぁぁぁぁか!

ってスカッとジャパンの「言ってやった」シリーズ並みの気持ちでしたけど。
今はちょっと反省しています。娘を追い込みすぎた、言い方。良くなかった。
例え、片付けしなくて大事なものをなくしたとしても。半分くらいは私の責任なのかもしれない。手の届かないところにさっさとしまっておけばよかったんだ。

片付けない、なくす、お稽古いけない、みたいなことをつらつらぶつけてしまったけど。実際は、なくしたってどーにかなるだろうし、でも問題はそこではない。

話を聞かない、約束を守らない、片付けをしない

この行動がないことがいけない、と伝えたかった。結局「これじゃもう新学期はおけいこいけない」みたいに追い込み、怒りをぶつけるだけになってしまっていた。反省。

夫については「もう、怒ってばかりじゃ幸せじゃない。あなたたちも幸せになれない。出ていきたい。」と伝えた。本音のところ、でていきたいとは思っていない。でも、怒ってばかりじゃ、幸せじゃない。怒られるほうも幸せじゃない。

どうしたらいいの?

お互いの違いを認め、受け止め、それを踏まえて方法を考えていくしかない。

夫は「俺は、起伏の激しいところもすべて、受け止めてる。生涯を共にしたい。」と言っていた。なんとも、朝からシリアスな家庭だな!笑

でも正直、夫の懐の大きさには完敗だ。私が懐せまい、って話じゃないけど
あとは私自身の問題な気がしてきた。たとえ、夫が人の話を聞かない人であっても。
聞かせよう、としない方がいいんじゃないかな?変えよう、として変えられなくて
苦しんでるみたい。私。ばかみたい。人なんて、変えられない。変えられるのは、自分自身だけ。

このまま、怒りの感情で毎日過ごすことと、毎日小さなことでも笑って過ごすことと、
どちらがいいのかな?私。眉間にしわが深くなるよね。眉間より、目じりのしわが増えた方がいいんじゃないの?

このままじゃ家族も自分も幸せにならない。怒りを笑に変えられないかな。
じゃあ、できるかできないかを考えず、思い切って決意しよう。
「何があっても怒らない!」まさしく仏教の道ですね。

怒りを笑に変える、検索するといろいろ参考になりそうなサイトがでてきたよ。

happylifestyle.com


とにかく今は、娘を抱きしめ、謝りたい。