子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

選択できること

昨日は友達家族のお宅に行きホームパーティーだった。
すごく楽しかったし、ごはんも美味しかった。

たった1つ、嫌なことが。
夫の調子乗り具合。

詳細を書くのが面倒なので割愛するけど。
帰宅して発言の真意を確認すると、「お酒の勢いでつい」みたいな言い訳こいていた。
本当に「お前なんか死んじまえぇぇぇぇ(# ゚Д゚)」という心境になった。

とても悲しくて、むなしくて、離婚の文字が浮ぶってこういう時だなー
としみじみ思っていたのだけど。

いろいろと内観を続けるうち、ある結論に達した。

「もう、辞めた」

夫と口をきくこと?
一緒に暮らすこと?
婚姻関係?

辞めようと思えばいくつも浮かぶのだけど。
最終的に至った結論は

「怒ること、やめよう」
ということだった。

怒りの感情は自分から湧いてくる。
怒ることは私の選択。
だから、私がそれをコントロールできるはず。

できるはずだし、それができれば
もっと自由になれる。

ばかな奴にイライラしている私がばかだ。
その感情を選択しているのは私だから。完全に振り回されてる。
それって、私が一番バカだよねー。

と冷静に考えていたら、
「怒ること、やめよう」と思った。
夫のことが嫌なら、そういう夫を選んじゃった私の責任。
怒る気持ちは、私が「怒り」のスイッチを押したから。
他にも選択肢を持てれば、もっと自由になれるのに
私自身が狭めてるなー

人を変えるのは無理だから、
この夫はこういうデリカシーのないくそ野郎なんだ
と思うのもいいし。
夫はもっとこういう風にしたいのかな?
って相手の気持ちに寄り添おうとするのもいいのだ。

それも私の選択。

私はもしかして、自分が「不自由」になる選択を
自ら選んできたのかもしれない。
だから、その結果として夫が私に不快な発言をしたり
あほな事言ってるのかな(地は賢いタイプの夫なので)。

選択肢があることに気が付くと、いっきに気持ちが
自由になった。

話は変わるけど、子供の教育の意味は
「選択肢」を増やすことだと思っている。

英語教育も、スポーツも、芸術も。

自分で決める、的確に選べる。

要は自分にとっての「最適」は何か?
それをもっと問うことかもしれない。
それができてないってことはあまり自分を大切にできていないのかも。

物事は味方を変えると、とたんに違う顔になるよね。
よりよい世界を観たいなら私が変わらないといけないな。