子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

生きる

某朝番組でおばあちゃんのユーチューバーの特集をみた。
居酒屋で出会った若者ユーチューブ動画を作ってアップする。
他には自分で撮影、編集もやってしまうおばあちゃんまで。
先日の洞窟王といい、完全にハートをわしづかみされちゃった。

生きざまが清々しい、っていうか。
悩みはもちろんあるだろうけど、あぁ素敵。

がんで惜しまれて亡くなったアナウンサーの言葉。
「なりたい自分になる」
私は時々この言葉を思います。

私自身、大病をして生死をさまよい、助けられた命。
病院で苦しんでいる最中、「絶対死なない」「まだまだやりたいことがあるんだから」
とひたすら思い続けていた。22歳。

だから、いつか人は死ぬ、ってことを実感した。
幸い命がつながって、もう一度生きる道に進むことができた。
人生、どんなことが起きるかわからない。

「なりたい自分になる」

人生、どんなことが起きるかわからないから
だれかに遠慮して、自分のやりたいことをやらずに
いることは違うと感じる。
人生、いつかは終わる。

だから、持てる力を出し惜しみすることなく
全力で「なりた自分」に向かって進んでいる。

おばあちゃんユーチューバーを見た時も、洞窟王をみたときも
「なりたい自分に全力で生きている」姿に惚れ惚れしたんだと思う。

人の社会で生きていくには歩調を合わせたり、自分を曲げることが
求められることもあるかもしれない。でも、
何かを理由にして「なりたい自分」になる努力をしないのは、
単になりたくないんじゃ?と自分に問いかけてみる。

37歳を前にして、いろんなことがだんだんと吹っ切れてきた。

苦手なママ友づきあいも、軽く割り切れる、その時を全力で楽しむ
って考えにシフトしてきた。

人生100年時代か。

それでも、やっぱり、人はいつ死ぬかわかんないよね。
だから「やりたいことやる。なりたい自分になる。」と
どんな時でも自分の生きる姿勢にしたい。

だって、人生いつか終わるからさ。
いまは止まらない。

ちょっとした感動が原動力になってるなー

 

10年後になりたい自分

年度初めは子供たちの溶連菌連鎖で大変あわただしい2週間だった。
気が付けばもう4月も中旬。はやいよねー

新年度からすぐに講義もスタートし、じつに6年目の春。
今年は8月の夏季期間を除いて、年中ずっと授業というスケジュールです。

学位をとるのか、とらないのか、みたいなことでずいぶん考えてきて、
結局「大学中退」に心を決めて、夫にも宣言して10日くらい。
その考えを改める思いがわいてきている。

結論から言えば、10年後の自分はどうありたいのか?を追求していくと、
やっぱり「学位必要だよね」って結論になり、10年後も現状のままの自分で良い、と
まったく思っていなくて。じゃあ、どんな自分になりたいのだ?
なんて、グルグルグルグルとにかく悶々と考えてきた。

10年後。
わたし47歳!キャー(;'∀') 夫42歳! 娘15歳! 息子12歳。

子供たちもきっとそれなりに巣立っていて、やっぱり
37歳の自分のスライドで47歳を過ごしているのは、望むところではない。
現状に不満があるのか?と言えば、そういうわけでもないのだけど。
上があるのに上を目指さないのは気持ちが悪い、といか。
それは単に職位のことを思っているわけではなくて、その道を究めていくというのか
現状からレベルアップ、と考えると大学院への進学が必然に思えている。
でも「研究したいんだ!」みたいな、そういう想いはいまはまだない。

ただ、自分の講義をより充実させたいな、そのためには深く学ぶことが必要、どうせ学ぶんなら、学位もとっちゃおう。そしたらついでに職位も上がるし。みたいな感じだわ。ただ、険しい道なのがみえてるからか、尻込みして、言い訳まみれる。

私がこの人生で成し遂げたいことはいったい何だろう?
一つは、英語でのコミュニケーションを円滑になりたいな、海外にたくさんいきたいな、見たことのない景色を見て、いったことのない場所へ行きたいな。
とにかく働いて、お金も充実も得て、海外へたくさんいく、それがシンプルに思うことかな。とにかく旅だ!冒険だ!

旅や冒険をするために英語はあったほうがいいし、安全な旅にはお金がかかる。
だから働くの?大学院へ行くの?

でもさ、国家試験に合格することと比べたら、大学卒業って楽じゃないのかな。
決められたことをちゃんとやる、ってだけで大筋OKだから。
しかも、学問を深めるって面白いし。

なんか、だんだんまとまらなくなってきた。そんな簡単に答えはでないか。
でもお金も、時間も、生きていることも有限だからな。もたもたしてられないよね。
まだ見ぬ世界へ旅立ちたい。大学院進学もある意味、冒険です。

時々、こういう自分につかれる。もっと、なんにも目指さなくて
頑張らなくて、だらだらしてりゃいいのに。って思う。
大丈夫かな?(笑)

とにかく、勝手に自分のレールを作って、そのレールから脱線しそうで
苦しんでいる気がして、、、自分が気の毒です(笑)ただのアホなのでは?
でも、いやではないんだろう。

大学卒業したら、考えよう。
あと2年で卒業しよう。

10年後の私は、大学の研究室で研究と講義をして、海外出張にも子連れでいく
パワフルかあちゃん。で英語も何不自由なく使いこなせて、世界中を旅してる。
翻訳も変わらず続けていて(兼業できるかな?)、月収は100万円くらい。

最後に楽天的要素でてきた(笑)

結局、楽天家な私は10年後も今と変わらず楽天家なんだろう。

怒涛の新年度

退職からずいぶん日が経ったけど、感傷に浸る間もなくて、新年度は怒涛のような日々。仕事はもとより、プライベートもてんやわんや。息子につづき、娘までもが溶連菌に感染で、、、ゲリー(下痢)&オート(嘔吐)の連鎖。かわいそう。で、息子は点滴デビュー。1週間の長い闘いを乗り切った!日常って最高!という喜びもつかの間、娘にもゲリー&オートの到来でまた、非日常へカムバック。大人もなんだか、体調不良で、なんだかつらいわー。

 

新年度のあわただしさと、家庭のどたばたで、いろいろ記憶ない。
そんな中でも、仕事に支障をきたさずにやり遂げてる。わたし、、偉い!頑張った!と褒めておこう。夫もよく頑張ってくれた。夫婦共働きの連携が見事に発揮できた、試練の日々だったな。と、まだ終わっちゃいない。

それでも今日は第1回目の講義が始まるんだよ。
こんなもんか、と割り切って日々を懸命に進むだけ。

書き留めておきたいのは、昨夜観たテレビ、洞窟王の吉田勝次さんの生きざまに感動したこと。

誰も成し遂げたことのない、未踏の場所へ突き進む。その姿に惚れ惚れ、感動するひとも多いはず。私もその一人。難しいことに挑む姿が美しすぎて、開いた口がふさがらない。「生命を燃やす」生き方、に見えた。たとえその相手は「洞窟」じゃなくても、わたしも「生命を燃やす」生きざまでいられたら、と憧れる。自分の思いに真っすぐな、そんな姿を尊敬する。

いろいろと諦めがち、諦める理由を探しがちだけど、「知りたいから、いく」みたいな、シンプル明快、純粋な、まるでこどもみたいな心が美しい。

わたしも「なりたい自分になる」ために、、諦めないで、言い訳しない、と自分に決心したい。

退職

昨日、長年お世話になってきた職場を円満退職した。
こんなに一つの職場で長く勤務したことはなかったから、というだけでなく
自分の人生にとって大きなきっかけ、変化、チャンス、人との出会いを与えてくれた。そんな職場だった。

翻訳会社を会社都合によって急に退職することになった1か月だったな。年末に沖縄へ帰省しているなか、履歴書を送っていた昨日までの上司から電話をもらい面接へ。1対5の面接にかなりビビった記憶だったけどね。即採用してもら、年明けからの勤務が始まった。

世間知らずな私だった。

目上の方への言葉遣いも、何もかも。すべてゼロから身に着けていく日々だった。アカデミックな世界にかかわるのは初めてで、右も左もわからない、ってこういうことだな。そう感じていた。上司は月半分は海外出張。部長だから、部長不在でも来客対応したりといろいろ気を遣う仕事だった。上司がよそからよく思われるよう、言葉遣い、身だしなみ、立ち振る舞いに気をつけるようになった。わたしの上司は幸い、お人柄がとても優れた人格者であり、お医者さんであり、キャリアもある。今から振り返って考えてみても、非常に恵まれたスタートだった。

3年くらいが経ち、周囲からも認知され、仲間もでき、楽しい日々を送っていたころ。業務に物足りなさを感じていた。それでも、私の周りは管理栄養士、一流大学院卒、語学堪能。実際にはそうではなかったのかもしれないけど、そのころの私には全員がそういうすべて揃った人たち、と思えていた。対する私は、中堅の短大卒で、栄養士。いちおう、フリーランスの兼業翻訳者ではあったけど、まだまだ駆け出しで自信もなければ、英会話力はとてもなかった。国際部署だったから、英会話必須だったのだ。

2011年に東日本大震災が起きた。

現地へ栄養ボランティアを派遣するため、職場では管理栄養士が集められた。栄養士ではだめだった。そのことが、私が管理栄養士を目指すきっかけとなった。「資格がないと人の役にも立てない」そう感じていたのだ。

まずは、実務経験。

短大卒が管理栄養士国家試験にチャレンジするには、実務経験が必要だった。勤務時間の規定もあり、まずは上司に相談し実務経験に認められるよう働き方を見直した。そんな頃と同時期に「バイトしない?」という声をかけていただき、専門学校での講師業が始まった。「短大卒の栄養士、栄養実務無し」というだけで非常に自信がなく、また生徒たちに申し訳ない思いだった。それでも、引き受けた、いただいた仕事なので、何とか形にするために相当勉強し、苦労していた。

時を同じくして、今の夫と出会う。

夫との出会いも、職場の友人がきっかけ。合コン的なものではまるでなく、夫からの私への第一印象は「記憶にない」レベル(笑)それでも、私が一方的に惹かれ、押して、付き合うことになったと思ったら、3か月でプロポーズ!夫はまだ25歳。私は30歳になる年だった。そして、同時に妊娠も発覚。怒涛のような日々だったけど、結婚式も無事に挙げることができ、職場の多くの仲間たちに出席いただき、上司にはご挨拶もいただいた。思い出深い。

第1子出産。

産休をいただき、産後半年で職場復帰。そしてその年の冬から、講義が始まった。結婚までも怒涛だったけど、その後もずっと怒涛の日々だった。慣れない育児、慣れない講師。なんだか、辛かった。育児が楽しめなかった。毎日が本当に精いっぱいで、記憶にない。

子供が2歳になり、講師業もなんとか3年目を迎え、実務経験も満了。初めての国家試験受験だった。完敗。1点足りず。そして、第二子妊娠。夫は長男なので、考え方は古いかもしれないけど、、、待望の男の子ってやつでした。しかしながら、2月に息子を出産した2週間後には国家試験を受験。そして、完敗。今回は3点足りずに不合格。2年連続不合格!講師業はそこそこ慣れてきた頃だったけど、1クラス1科目で始めた講義が、このころは4クラス3科目に増えていた。忙しすぎた。兼業翻訳もまったくやらなくなり(できなくなり)、翻訳からどんどん離れていった頃。

二人育児が怒涛の日々に拍車をかける。

2人目の出産後、産休中に翻訳業を再開。今後の働き方をいろいろ考え始めたのも、二人目出産が契機となった。「今年こそは合格しなければ…!」3度目の正直、という追い込まれた状況。毎年年度後期に講義が集中するスケジュール。もう限界を感じて、産休明け直後に出勤日を半分に減らす。

産休と同時に入ってきた人に仕事を奪われた形になった。自分の限界もありつつ、そんなことも感じていた。その子は、賢いがずる賢い。私はその子をうらやましかったのかな。とにかく嫌いだった。不幸を願うくらい(笑)。大好きだった上司も、その子にとられた!って感じていた。(どーんな発想なんだか…)産休明けると仕事がない、という話。よくあるかもしれないけど。ちなみに、その彼女は管理栄養士で、帰国子女のバリバリ英語完璧ガールだったんだな。大学もアメリカで学位をとって、文句なしの才女。負けていたのだ。すべて。だから、悔しかったけど、勝てないと思っていたんだと思う。だから、嫌いになったのかな。子供じみてる。

とはいえ、仕事は仕事ですからね。そんなことは言いませんけど。

で、出勤日数を減らしたと同時に、同じ部署の別部屋への移動を命じられた。このころ、辛いピーク。自分よりキャリアが?上の人に、大好きな上司もポジションも奪われた!完全に被害妄想してた頃。もうこの職場は辞めよう。新しい働き方を考えよう。そう思い始めたころ。気持ちは孤独だった。管理栄養士国家試験の受験プレッシャーもあったからだと思う。

そんな胸の内、夫にしか話せなかったな。夫は、さっさと試験に合格して次に進め!といつも励ましてくれていたような。

3度目の国家試験で、ようやく合格!!!勝ち取った。二人育児でも、Wワークしながらでも、合格したのだ。3度目だけど(笑)上司をはじめとする先生方、お仲間が合格祝いパーティーを開いてくれた。ホテルの豪華なディナーだった。夜景がきれいで、頂いたお花もきれいで、久しぶりの夜の外出で、なんだか緊張した。

試験を終えてから、仕事の状況がどんどん変わってきた。

翻訳を本格的に再開した。そしていろんなご縁をいただき、栄養分野でも翻訳の仕事ができるようになった。その2か月後には、これもご縁をいただき、別の機関にお手伝いにいくことに。そして、ここの機関がわたしの来年度の職場となる。翻訳でそれなりにやっていけそうな見込みが立ち、真剣に退職を考え始めた10月。新しくお手伝いに行っていた機関の先生から、フル勤務でこられないか?と打診を受けた。迷うところが多く、3~4か月お返事できずにいた。

それでも、最終的には家庭と仕事との両立をもっとも好条件でできる職場、という観点で判断した。それが、今回の退職だ。

ご縁とは、本当に不思議なもの。今まで想定もしなかった未来を、次々と運んできてくれる。これまでの人生、数えることが不可能な、非常に多くのご縁とご恩をいただいてきた。感謝しかない。そのご恩をどう返していくのか?私の人生で生きる目的はそこにある。世の中への貢献、というといきなり規模が大きくて、ぴんとも来ないけど。

ご縁をいただいたすべての人たちの人生が、より良いものになるように、その一助になりたくて、頂いたご恩を倍返ししたくて、それが自分の生きる糧。成長の種。

さあ。新しい場所を目指そう!私がもっともっと成長していけば、もっともっとご縁はつながり、ご恩をお返しできるんだと信じています。

 

春の訪れ 

送別会、納期、生活発表会、納期、送別会、納期、合同誕生日会、納期、会議。
毎週のようにイベントが続き、毎日のようになんらかの納期に追われ、
すごい勢いでずんずんと過ぎていく3月。残りあと4日か!!!早い。

そして今日は朝からお弁当作り、これから会議、病院。午後は納品。まるでキャリアウーマンみたいな(笑)?なんて、違うか。それでも、ちょっとのんびりしてる朝です。
ベランダからはすでに満開のサクラがみえる。今日は富士山みえない。

駆け抜けた2017年度。一番の出来事は、新しい仕事にたくさん恵まれたこと!
これまでお世話になった職場を退職する決心をしたこと!
結局、来年度からの大学院進学に向けどうするべきか?の問いに、いまだ具体的な結論に達していないけど。ちょうど小学校に娘が進学する年にかさねるよりは1年ずらして、小学校2年生になったら通うことにする?!娘が2、3年生のときは息子は年中、年長。娘は中学受験させたいから、3年生の2月ころから塾通い始まる。となると、娘の勉強に力を入れていきたい時期とは重ねたくないからな。

あと2年で大学を卒業することを目指す?きっと無駄な時間にはならないはずだし、これから働き方もさらに自由度がUPするから。来年度は単位取得に精を出すか。うーん…そうすと、すべてスムーズにいったとしても、大学院を卒業したころは41歳。
息子が小学校に進学するまでには卒業したい。

できることから1っ歩ずつ。だよね。今日は熟考しよう。

ほんの一休み

今年度の講義も終わり、ほんのつかの間ののんびりした時間。

先日は、自分自身の送別会を開催してもらい、いろいろとありがたいお言葉をいただいた。退職することに実感が全くわかないのは、次の職場も関連の研究機関で、現上司と新上司は同じ専門分野の仲間であることが大きいのかも。いざ辞めたら、もっと寂しくなっちゃうのかな?

久しぶりにほんのたしなむ程度だけど日本酒を飲み、息子に卒乳相談をしようと思ったのでした。お酒飲みたいだけ。。。

さむーい春分の日は、娘&息子の合同誕生日会!夫の両親、私の両親、妹家族が駆けつけてくれて、とても賑やかで楽しいパーティーとなった。料理も8品、朝から作って、ケーキも新宿高野でオーダーしたり、ととにかく金がかかったな。でもやっぱり、高野のケーキ&果物はおいしい。

娘は5歳。息子は2歳。それぞれの育児課題は違うけどね。とにかく最近は息子に手がかかってかかって、モー大変。幼児ギャング絶頂期に突入な感じです。つらい。

この一休みの時期にしっかり休んで、次に向かうエネルギーを蓄えたいな!

図々しく鈍感に

夫という生き物は、妻のいうことを右から左へスルーする。
なのだろうか。
夫に言わせると「要求が高い」とかいう話になってしまうけど、
私に言わせると「わかった、というくせに全く行動に変わらない」という反論。

今朝、子供部屋がゴミ屋敷と化していたことがトリガーとなり
いよいよ私の中のスイッチが入った。ぶち!っと切れた。


夫も子供たちもやりたい放題、やりやがってー!ばぁぁぁぁぁか!

ってスカッとジャパンの「言ってやった」シリーズ並みの気持ちでしたけど。
今はちょっと反省しています。娘を追い込みすぎた、言い方。良くなかった。
例え、片付けしなくて大事なものをなくしたとしても。半分くらいは私の責任なのかもしれない。手の届かないところにさっさとしまっておけばよかったんだ。

片付けない、なくす、お稽古いけない、みたいなことをつらつらぶつけてしまったけど。実際は、なくしたってどーにかなるだろうし、でも問題はそこではない。

話を聞かない、約束を守らない、片付けをしない

この行動がないことがいけない、と伝えたかった。結局「これじゃもう新学期はおけいこいけない」みたいに追い込み、怒りをぶつけるだけになってしまっていた。反省。

夫については「もう、怒ってばかりじゃ幸せじゃない。あなたたちも幸せになれない。出ていきたい。」と伝えた。本音のところ、でていきたいとは思っていない。でも、怒ってばかりじゃ、幸せじゃない。怒られるほうも幸せじゃない。

どうしたらいいの?

お互いの違いを認め、受け止め、それを踏まえて方法を考えていくしかない。

夫は「俺は、起伏の激しいところもすべて、受け止めてる。生涯を共にしたい。」と言っていた。なんとも、朝からシリアスな家庭だな!笑

でも正直、夫の懐の大きさには完敗だ。私が懐せまい、って話じゃないけど
あとは私自身の問題な気がしてきた。たとえ、夫が人の話を聞かない人であっても。
聞かせよう、としない方がいいんじゃないかな?変えよう、として変えられなくて
苦しんでるみたい。私。ばかみたい。人なんて、変えられない。変えられるのは、自分自身だけ。

このまま、怒りの感情で毎日過ごすことと、毎日小さなことでも笑って過ごすことと、
どちらがいいのかな?私。眉間にしわが深くなるよね。眉間より、目じりのしわが増えた方がいいんじゃないの?

このままじゃ家族も自分も幸せにならない。怒りを笑に変えられないかな。
じゃあ、できるかできないかを考えず、思い切って決意しよう。
「何があっても怒らない!」まさしく仏教の道ですね。

怒りを笑に変える、検索するといろいろ参考になりそうなサイトがでてきたよ。

happylifestyle.com


とにかく今は、娘を抱きしめ、謝りたい。