子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

話題の映画を観たよ

是枝監督作品の『万引き家族』を観に行ってきた。たまたま講義が休講で、
ぽっと時間ができたのだ。

結婚前こそ映画好きで、年間100本くらいは映画館でおひとりさま映画鑑賞していた。
映画ブログも書いたりしてた。そのくらい、映画館で映画を観ることが大好きだったし、映画は映画館で観たい!って思っていた。
結婚してすぐに子供に恵まれたこともあるけど、妊娠中に『アウトレイジ ビヨンド』を観たのが最後で(しかも銃撃シーンで初胎動を経験(笑))、それ以降はぱったっと行けなくなってた。

子供が3歳になったころに『ズートピア』を観た。二人目の子供を出産後は更に映画館から足が遠のき…久々に今年は『ドラえもん のび太の南海大冒険』を観た。子供と。

だから、おひとりさま映画は実にあいまいな記憶に基づくと6年ぶりくらい?!
嬉しかったな。それでも、仕事の合間に行ったから駆け込み状態で。席に座った瞬間にタイトル表示された。あぶねぇ。なんとか間に合った。

で。なぜ『万引き家族』だったのか。パルムドール受賞したから?ではない。
アマゾンプライムビデオで『凶悪』を観て、リリー・フランキー怖っ!と思って。観たくなった。だから、カンヌうんぬんとか、是枝ファン、とかってわけじゃなかったんだ。是枝作品は『誰も知らない』を観たくらい、多分。(柳楽くん、もう大人)

感想。

子供は生物として未熟だけど、大人はみんな不完全。
だから、その不完全さを補い合って生きているだな。
結婚するということも、お互いの不完全さを補い合っていくことを
約束したのかもしれないな。夫の不完全さをまるごと補っていこうじゃないか。
私も補ってもらってるんだ、大なり小なりね。

子供は生物として未熟だけど、大人よりも完全かもしれない。キラキラした、純粋無垢な瞳で、世界を見ている。でも、生物的未熟さ故に環境に大きく左右されてしまう。左右されざる負えない。
大人は不完全さを自分で認められなかったり、認めてもらえなかったりすると
弱い者いじめを始めるんじゃないだろうか。
だから、万引き家族は互いの不完全さを補い合っているから、血縁がなくても
温かくて、本当に「家族」になれたんじゃなかろうか。

安藤サクラ演じる「信代」が、
大好きだったら叩かない。ぎゅって、抱きしめる。と「りん」に教えているシーン。
虐待といえば目黒の虐待事件が記憶にあたらしいけど。たとえ血縁がなくても、こうしてギュッと救われる命があって、守られて生きていける場所があるといいのにな。結局「りん」は体罰する家族のもとに返される。その話を安藤サクラが受け止めるシーンも涙なくしてみれなかったな。

心にモヤモヤが残っている。ずっと。

 

 

人は変えられない

なかなか思うように行動変容しない夫に勝手にうんざりしている妻です。
例えば、ウォシュレットを使った後はちゃんと拭く!とか。
例えば、ごみ箱の蓋は開けたらしめる!とか。

取るに足らないいくつかのこと。
でも些細な事って、快適な日常には案外必須です。

もっと寛大に夫を受け止めたらいいのかなぁ。
そもそも、人を変えようだなんて、無茶だ。

いろいろ思いながら、感情のままに「またかー!」と
夫にお説教を始めてしまう。結局、やれやれって
同じことが繰り返されて、未解決。未解決事件が多いです。夫婦間。

世の夫はそうだ、大抵。
という夫。

あなたは特別な男性。だからできる!
と魔法をかけてみる妻。

魔法ぜんぜん威力なし。

他人と家庭を作り、そこで快適に暮らすってそれなりに
すり合わせが必要だろうけど。夫の変わらなさといったら、、、もう。
そんなもなのだろうか。

人を変えるのは無理だから、自分を、環境を変えよう!
とウォシュレット撤廃宣言をしたら慌てだした。

結局、自分が困ることは避けたいから、そうなると動くらい。
なんて、思いやりのない人。
でも、私もいい加減知っている。
人はそうそう変えられない。自分が変わった方が、自分を変える方が
数倍健康的で手っ取り早いってこと。

育児もそう。

子供は自然の一部みたいに、お天気だったり雨降ったり、
大人からは到底理解できない、お構いなし。かと思いきや、
すごくピュアで、自分の常識は正しいのか?って
問いただしたくなることもある。

極論、夫も子供も同じ。

変えられるものを変える勇気を、
変えられないものを受け入れる冷静さを、
そして両者を識別する知恵を与えたまえ

夫の行動は変えられない。私は変われる。

いつでも平常心

物騒な事件、悲しい出来事、耳をふさぎたくなるような、目をそらしたくなるような
そんなニュースが最近多い。
人の心が寂しくて、満たされなくて、何かを欲していて、でもそれが得られなくて。
でてくる事象は違っていても、元をただせば結局は心の充足感の欠如なんだろう。
心が愛で満たされているとき、人は人に凶器の意思を向けないだろう。

私自身、他人を受け入れられない、落ち込みやすい、ちょっとしたことで不安になる、という心がある。そんな心をやさしく受け止めてくれ、理解を示してくれる夫に出会うまでは、本当に心に拠り所がなく、不安な、壊れやすい心だった。

今だって、そうだけど。確実に、少しずつ、心の平和な日が続いている。

原因は性格かもしれない。生い立ちかもしれない。過去にさかのぼって
過去を正すことは難しい。

それでも、今日も明日も生きていくためには「平常心」を身に着けていくしかない。
動じない心を、穏やかな人生を送るために培うしかない。

小さなことにこだわって、大事なことを見失わないように。
身近にいて、いつもどんなときも愛で包んでくれる人たちに感謝して。
自分らしい生き方を貫くために、世間や人様に惑わされずに。
いつでも平常心。

これぞアラフォー?疲労回復しない

キャンプでワイワイにぎやかにやっちゃった週末から早4日目。
いまだに疲労感ずっしりの体。子供たちの過激な振る舞いに泣けてきちゃう心。
心身共に疲労困憊中です。まったく、擦り切れ雑巾。

キャンプのために仕事を全力でこなして、キャンプから帰宅して
いつもの仕事をこなしているだけなのに。
しかもここ数日、ちょっといい夢?みちゃって、続き見たさに早起きもできず。
4時起き(通常は3時始動)。なのにねむイ。なぜ。
仕事について、講義が8回目が終わり。折り返しきたきた、って思ったものの。
ありがたいことに、翻訳の仕事も、研究支援業務も忙しい。

仕事の忙しさって、逃げられないし、適当な仕事できないしで、辛いんだな。何より、眠いわ。なんでだろう。

昨日も娘の些細な一言に悲しくなって、泣く。ゆりちかちゃんの番組みて、
どうしようもなく泣く。朝は夫がいつもの話聞いてないかげんに、泣く。
疲れて、( ;∀;)涙がでてくるのかな。相当だよね。

で、昨日は子供たちがアメシャン(水たまりに頭を自ら突っ込む)して、びしょびしょで、いつもなら大笑いだけど、怒る気力もなく、悲しい。

朝から息子が白い壁に得意げになにか描いてる。しかも油性ペンで。これには、激高。

こんなこと(笑えないような心身の状態)が続いては、周りにも心配や迷惑をかけたり
子供にも申し訳ないので…ささっと仕事を片付け、お迎えの時間まで
眠りたい。

 

他人軸で生きない

気が付けば6月突入。梅雨間近のせいか、あつーい毎日です。

不安が多かった大人数キャンプが無事終わり、ホッとしたのと同時に
子供たちの成長と私自身の人間不信の改善を感じている所。
結局、完璧主義な人って八方美人にもなりがちで、さらに自己顕示欲も人より強いから
他人から見た自分がきになり、人間不信に陥ているっていうバカループ突入。

今回のキャンプは総勢25人!!!という、まるでモンゴルの民族移動のような規模でのキャンプでした。だから、いろんな人がいる、パパがいる、子供がいる、ベビーがいる。そもそもママ友とか苦手!って感じていた私にとっては苦行そのもの…とさえ思っていたのだけど。

それもこれも、完璧主義的な自分の正確が災いしているのだなぁ~なんて。実感したり。だってわが夫。他のパパたちと比べてみると、とっても浮き浮きキャラだったんだけど。当の本人は「ありの~ままの~姿みせるのよ~」の人なので、一切気にせず。全く人に流されない、かと言って協調性はちゃんともってる人。

ママ友からは「パパ素敵だねー」と言われてデレデレの普通の人。でも「ありの~ままの~」で生きているから、とても生きやすそう。

そして夫からすると、私はとても生きにくそうで、いつも人付き合い辛そうさんだそう。わたしも自覚してたけどね。

なにがどうしてそんなにも苦手なのかな?!って今いちよくわからず。ありのままで生きられたらなーと夫をみていて思う日々でしたが。その辺の自分自身の不具合も解決の糸口が見えてきたと思う。

結局はいつもベクトルが自分にばっかり向いてるやつなんだな、私。
だから人からどう見られ、どう思われるかが気になり、他人軸で生きてるよね。
家族の前では素っ裸の心で生きているから、ありのままだけど。

キャンプを終えて、私の心も少し前進できました。

 

Oisixに夢中

アメフトの悪質タックルのニュースに毎日イライラしっぱなしです。
青年が人前に顔と名前をさらして、自分の行動の過ちを認めているというのに。
くそ大人たちに腹立たしくて、もう泣けてきます。

毎日テレビにイライラしっぱなしですが、そんななかで最近始めたOisixに夢中です。

家計管理をしやすく、買い物に行かなくて済む、ってことが当初の宅配の目的で。そこに、健康・安全という目的を入れたら、Oisixを始めることに。野菜のおいしさに感動しっぱなし。驚くおいしさって、こういうことだわーって。。。今までのトマトって、こんなに薄味だった?と。

肉は300円/g程度の値段で、とてもリーズナブルとは言えませんが。おいしい。

いままで、料理をする「味付け」が第一、っておもってきたけどね。味付けなんて、不要なんだわ。おいしい素材さえあれば。

我が家のレンタル農園からも間引き作業で収穫があって、その野菜もまたおいしい。
完全無農薬、でも思いっきりド素人の農作業だけど。おいしい。
スーパーで売られている野菜とどうしてこんなにも違うんだろう。

いろいろ知りたいことが増えました。

 

人生は短い

GWがあっという間に終わって、日常のあわただしさが戻ってきた。それでも、
連休前より連休後の方が、新しい気づきを生かそう!って日々過ごしているせいか、
ちょっとずつ快適になってきた気がする。それに、義父からいろんな話を聞かせてもらい、心のままに生きるって、やっぱ大切。だなんて、思った休暇でした。

最近暇さえあれば、gossip girlアマゾンプライムビデオで観まくってるんだけど。つくづく、面白い。教訓もあるし、目も楽しい。友情や家族の絆、人々の成長が感慨深い。

昨日はtedで「時間という財産」という日本人プレゼンター(Hidetaka Nagaokaさん)の話を聞いた。で、自分の時間の使い方について紙に書きだしてみて、気づきを得た。私は以前、翻訳会社にいた。本であふれかえる会社だったのだけど、社長の本はどれも読み放題で、そのうちの1冊。枝廣淳子さんの「朝2時起きで、なんでもできる!」を読んで、大きく人生が変わった気がしている。この本を読んで以来、私は3時起き(今日は2時起き)の超朝型生活がスタートした。24歳だった。当時、翻訳会社で校正者として勤務していたのだけど、超朝型生活にして翻訳の勉強を始めたんだったな。

それから4年後。

フリーランス翻訳者として仕事がもらえるようになり、転職。兼業翻訳者としてとある研究機関の国際部署で8年つとめ、その間に非常勤講師になり、大学にも進学して(現在は退学)、結婚し、管理栄養士になり、今に至る。今も翻訳と管理栄養士と2足の草鞋生活。

そんなことを、tedを見ながら思い出していた。「わたし、人生2回生きてたんだ」って思っていた。自覚的じゃなかったけど。枝廣さんの本をきっかけに、ある意味常識を捨てて、ライスワークとライフワークを両立させていたら、ライフワークがライスワークにもなった。ある意味、人生を変えた1冊なのかもしれない。

だけど、人に「3時起きです」っていうのがなんか、ガリ勉みたいで?恥ずかしくて、言えない。でもそれも枡さん(アナウンサー)の「3時にスタジオ入り」って話をテレビで観て以来、「わたしもアナウンサーと同じ」と思ったら、いまだに積極的に人には話さないけど、なんか「人とは違う、浮いてる」みたいな、感じがなくなったような。でも、そんなのどーでもいいか。

人生は短い。時間がない、なんて言ってられない。

枝廣さんの本を読んだのが24歳で、その後、30歳過ぎて子育てに追われるなかでも、国家試験に挑戦を始めたころ、吉田穂波先生の「時間がない、からなんでもできる!」を読んだ。それで、子供がいて、育児があってもやり遂げられる、という気持ちを得て。国家試験を乗り越えた。吉田先生の忙しさと比較するなんておこがましいのは1万も承知だけどね。さらに、育児に手抜きできない性分だけど。自分のなかにあった「育児で忙しい、だからできない」って言い訳がきれいに流されて、目からうろこで、、、っていう衝撃を覚えている。

2時起きのすすめ、を読んで実行する人はどのくらいいるのだろうか?あんまりいない気がする。

ずいぶん前に出た翻訳セミナーで。ちょっと癖の強い翻訳者が(私の知る限り、翻訳を生業にしている人は一癖あるひとばかり)言っていた。「私がいまここで、儲かる翻訳者になるためのノウハウを説明して、この会場で実践するのは何%でしょうか?1%未満だと思います。」というようなことを言っていた。つまり、「翻訳で稼げるっていーな!」と思っているくせに、「この方法でやれば稼げるよ!」と聞いても「○○さんだからできたんでしょ。」みたいに、実行しないやつばかり。ということ。

人は言い訳がましい生き物。すぐにできない理由を探す。やらない自分を正当化する。

人生は短い。いつ終えるのかわからない。だから、いますぐ取り掛かるしかない。言い訳を考える時間に、1歩でも1寸でも、先に行く。

問題は、やるのかやらないのか、ってこと。「もしも」のまだ起きていない不安で動けなくなる前に、自分の心に従ってすぐに動く。自分を信じられるかどうか、ってことなのかもね。