子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

共働き論争―追記

先日のつづき。

お金のために働いていない、と書きましたが言葉が不足していると後々思ったので追記。つまり、生きていくため、子どもを育てるためのお金が必要なのは前提条件。で、お金のために働いていないのは「仕事にしっかりやりがいをもとめる」ということを書きたかった。

だから、夫も私も「家族のために働いている」の前提で、「仕事にやりがい」を求めていい。そのほうが、良い結果もついてくる。

お父さんもお母さんもイキイキ、働けていることを大切にしたい。ということでした。

共働き論争

「亭主元気で留守がいい」という言葉に疑問しかない。この言葉が生まれて30年くらい経つようだけど。この言葉が最終的には熟年離婚につながるのでは思っている。

家族って一体なに?

夫婦共働き(夫:会社員、妻:自営業兼非常勤職員)の我が家。夫は毎週末のように地方出張、平日は帰宅が夜9時という毎日。妻である私は自営業で週3日は外勤(非常勤)だけど、育児にはこだわりたいヒトだから毎朝3時から仕事に取り掛かり、17時までには保育園の迎も済ませ子供と一緒に家にいる、ということを自分のルールとしている。さらには上の子が小学校に進学すれば、学童へは預けずに育児の時間を広げたいとさえ考えている。また、子どもたち二人とも中学受験することに決めているため、受験サポートに徹底的に関わりたいと思っている。平凡な子ども(平凡な親だから)には学歴が必須だと考えているから。

そんな我が家。私は年度の後半から仕事が激務になる。でも夫は相変わらず出張三昧。で、こんな師走時期だから、飲み会も多くなる。ため息しか出ない私。なんとか、考え方を切り替えて頑張ってきたけど。とうとう限界きた(限界まで早かったな(笑))。多忙ながら育児・家事・仕事はなんとか夫不在でも思うようにできてはいた。だけど、心がもたない。当然だよね。息子はまだまだ手がかかるお年頃。早朝に仕事をしたって、授乳でなんどもお呼びがかかるんです。

父親が不在の毎日、このままでいいんだろうか?

夫と真剣に話し合い、当初は「亭主元気で留守がいい」と思えばいいじゃん、くらいのことを言われてはらわた煮えくり返りそうだった。ほんと、イライラ。お金のためにせっせと外で働く父親像はいつの時代か。家族の在り方とは、あなたが(夫)が考える家族って何なのか?散々、話し合い。長時間労働を是正しないと働き方は見直せない、という一つの結論が出た。そして、夫は人生において家族を大事にしたいと考えている、らしい。

すぐさま、夫は会社人事にメールを送り、来週火曜日に勤務形態について検討するための面談が開かれることになっている。私の希望として、定時に退社する日を少なくとも週3日。週末出張は月2日程度まで。それを実現するために私ができることは、外勤の出勤時間(現在7時30分過ぎには家を出る)を改め、保育園の送迎を丸ごと私が担当する。
代わりに夫は早朝7時代には出社して17時には退社。40分圏内の通勤時間なので、18時までには帰宅。平日はゆとりをもって育児ができる。週末出張については、私が代わりになにかできることはない。

「共働き」「家族」の在り方について考えているとき、デンマークと日本のジェンダー研究している美人大学院生(デンマーク人)のインタビュー記事にたどり着いた。そこでは、日本はもっと変わるべき、制度が追い付いてない、など私が「これこれ!」と思う内容で、共働きが当然の国がどういう家庭生活でうまくいっているのか、とても参考になった。

私は夫の給料を補うために仕事をしていない。自分の将来設計のため、より自分の人生が輝けるため、仕事をしている。だから、キャリアアップのための勉強は必須だし、お金がすべてではない。無償の仕事でも勉強になると思えば、なんだって引き受けるし、仕事をする判断基準は「自分のためになるのか」ということ。給与だけで選ぶことはない。

だから「無理しないで」「育児が大変なら仕事のペース落としたらいいじゃないか」とか言われるともーれつ頭にくるのだ。こいつ、わかってない。育児も家事もあなたも当事者なのに、わかってない。そういう思考でいるなら、夫婦ではいられない。仮に、夫婦を継続しても、熟年、それを待たず子どもの成人直後の離婚は免れない。家庭でのあなたの居場所はもうじき消失します。そう伝えて、やっと危機感が理解できた様子。

だから「亭主元気で留守がいい」が日本の「家族像」であったなら、時代遅れも甚だしく、男性を尊重せず、夫婦の在り方に疑問ばかりなのだ。息子を育てる母親としても、彼が将来父親になる日が不安で仕方ない。でも今後、専業主婦はますますいなくなると言われているわけだから、より良い社会環境づくりのためにもまず、世の中から消し去りたい思考「亭主元気で留守がいい」だよ。

夫はお金を稼ぐ人、妻は家庭を守る人。分担すると責任の所在も分かりやすいのかもしれないし、女性が社会で働き家族を養うだけのお金を稼ぐのは難しいかったのかもしれない。でも、今は男性一人の給料で生涯家族を養うほうが無理だよね。終身雇用制度もないわけだし。

出産は女性の仕事、というのは疑いようもない事実。だけど、家事・育児・仕事は絶対に「夫婦」で取り組むべき仕事だと思う。それぞれの割合は家庭ごとに違うだろうし、違っていいだろうけど。専業主婦だろうが、共働きだろうが「夫婦」で取り組むべき、というのは変わらないはず。

日本の「家族」の在り方がより良くなれば、もっと日本は良くなるはず。

 

 

小さな決意

前向きな言葉に変換しよう。忙しいとついつい、ネガティブな言葉や発想につながっていく。とくに、夫にかける言葉が厳しくなる(自覚あり)。
でも言葉が厳しくなると、夫は辛くなり、より良く働かなくなる(こちらの思惑通りには)。だったら、嘘でも褒めちぎってしまったほうが、手玉にコロコロいけるやつじゃ?っていうのは頭では前から知ってるんだけどね。だって、男の人って素直な生き物だから。頼られたい生きもの。でも、女からすると得意げになってる割に、できてないよね~って突っ込みたくなる感じでもあるわけで。

夫婦とも働いていて、お互いしっかり稼いでるんだから、共に子育てに励んで、家事も分担して!って思ってたし、そんなの当然だと思ってたけど。夫はこちらが思うように家事をするわけでなく、夫が思うように家事をする。だから私の満足度を満たさない場合が多いけど、そこを求めていくたびにいさかい(といえど、プリプリ怒ってるのはわたしだけ)起きてる。

はたと。これで誰が幸せになった?

そう思うと、いろいろ言われた夫はもちろんだけど、私自身も決してハッピーにはなってないよな。いや、むしろムカムカ倍増↗みたいなね。悪循環のできあがり。だったら、もうチクチクとげのある嫌味を夫にぶつけることはやめにしませんか?と自分に言ってみる。だって、私が(誰かが)幸せになるならまだしも、だれ一人幸せにはならない。さらに、言ったところで家事が片付いたり、理想的な状況がやってくる兆しはないのだから。

だったら、丸ごと夫のすべてを受け止めてフォローしたほうが楽じゃないか?

共働きでも、平等に家事育児をこなすのは無理だ。という前提を許容し、たとえ私のほうが稼ぎが多くても(自営業だから波がある)、だったらお前働けよ!みたいな?主従関係・・・(笑)を作るわけでもなく(収入の高低で家事分担を分けるのではなく)。夫のできないことを未完全なところをフォローすることを一つの仕事としてとらえるか、もしくはすべて自分でやる気持ちでいつもいる。だったら、夫が分担としてやってくれていることは非常にありがたいことで、こちらの仕事が増えるばかりの出来栄えならいっそやらせなければよい。

なんだか、上から目線すぎ?

でも、育児はどうしても分担できないことが多い。また、我が家のように夫が毎週末のように出張ある、帰り遅い、子どもは2人、で終日ほぼワンオペ育児みたいになってくると、本当に休む暇がないのだ。その状況を「ツライ」としても何も変わらず「夫家事しろ」とシャウトしたり念じても、洗濯ものはしわをのばさずに干すのだ(何度言っても直らない)。

じゃあ、全部受け入れよう。

家事分担を請け負いつつ、成果が低い夫も、出張ばっかでいつも家にいない夫も、私がワンオペなのも、仕事がハードなことも、なんでもかんでも。ぜーんぶぜんぶ。全てをまるごと受け入れて、すべて「ありがたい」と考える。そうすると、不思議と幸せを見出せるかもしれない。状況は何一つ変わっていなくても、だ。

そうそう、幸せはいつも心が決めるのよね。って相田みつを言ってるもんね。

だから、私の心が幸せで満たされるために、すべてを受け入れることから始めて、
とにかく夫を褒めまくって、楽しく過ごしてもらう。子どもたちについても、食事中に正しいマナーは教えるけど、ある程度教えたらほっといてそれを受け止めればいい。部屋が汚れてイライラするし、息子はあちこち引出からもの引っ張り出して放置するけど、片づければいい。こういう一つ一つを「大変だ」「ツライ」「休みたいのに休めない」とか考えてると、それ自体がつらい。

やーめた。つらいこと全部やめた!今日からhappythinkingでいこう。と決意してみる。

話題の本を読みました

「君たちはどう生きるか」を読んだ。前から気になりつつ、図書館で借りたらいいやと思って予約していた(待ち人数60人(゚д゚))。でも昨日、ふと時間ができてスタバが入るショッピングモールでこの本を迷いつつも買い、読んだらアマゾンでそっこー売ろう!高く売れるはず、と思いながらスタバに入ったのだけど。読み終えた今、何度も読み返したくなっている。

話題の本、ってだけでミーハー感半端なくていやだけど。話題になるほどの本はやっぱり話題になるほど素晴らしかった。人としてどうあるべきか、どうあっていいのか、という事が良く分かる。すごく当たり前のことが書いているようで、すごく難しいことでもあり。とてもちっぽけなようで、かなり壮大な世界がつまった1冊。

これから何度となく読むし、娘が字を読めるようになってきたら一緒に読みたい。

この本を読んだ今の私が感じた事。
・世界の偉人伝も読みたい
・親子の関係について。たとえ自分の親であれ、ちゃんと「オカシイ」と思っていい。そう思った自分の気持ちを大切にしていい。そう感じた気持ちを無視しちゃいけない。
・自分がいまここに成り立っているのは見えないいろいろなものがつながっていることは知っていたけど、大人だから。食料経済について勉強中なのでもっと深めていきたい。そして、人として、栄養学を志すものとして、どうあるべきか?考えて、実践したい。
・心が喜ぶことはなにか?自分の心の声を無視しない
・私の暮らしがどこからきてるのか気持ちを向けたい、コペル君の網目の法則
・どんな生産的なことをしているんだろう?わたし

まさか。こんなにも感動するなんて。

本を読みながら、終始2つのことを思い浮かべていた。
1つはミスチルの「タガタメ」という歌。この歌の歌詞のなかで
【左の人 右の人 ふとした場所で きっと 繋がってるから】
【片一方を裁けないよな 僕らは連鎖する生きもんだよ】

もう1つは高校時代の同級生で友達のさえちゃん。いまはきっと世界のどこか、たぶんシンガポールに住んでるんだろうけど。私たちが28歳くらいのとき、彼女がいっていたこと、ひたすら私に話していたことの話が、ようやく腑に落ちた心地。彼女はいまどうしてるかな。彼女にはこういう世界がみえていたんだな、今になりようやく私にも見えてきた。1冊の本のおかげで、よりクリアに。

「健康の社会格差」と「国際栄養」というのが私のいまおかれている栄養学に関わる場所でのキーワードになってる。翻訳では食料経済や世界の食糧事情に関する内容を翻訳している。つまり、国際栄養関連だけど。

いろんなことがつながってく。どんどん。親となった今、子どもも巻き込み考えてかなきゃいけない。問題意識の低かった私を過去にしないといけない。今こそ。

 

 

全てのことがありがたい

昨日は栄養セミナーでした。対象者は知的障害や精神障害をお持ちの30~40代の
男女15名とその保護者の方。

実はこの仕事、管理栄養士になる前から依頼を受けていたもので、無事試験にも合格し晴れて管理栄養士として仕事をさせていただけることになった(もしかしたら栄養士でもOKだったかもしれないけど、とにかく受かっててよかった)。

対象者が障害をお持ちの方々、特に身体ではなく知的障害や精神障害をお持ちの方々だとどんな内容なら伝わるのか?全然わからず手探り状態。仕事で関わるいろいろな方にアドバイスをいただき、3色食品群や料理カード、おやつの並び替えなどワークを取り入れつつ、飽きずに90分取り組めるよう工夫を凝らした。

実は今回の依頼は精神保健福祉士である私の妹の夫からで、身内仕事だった。だからこそ、ぜーったいに悪い仕事はできないというプレッシャーがあったことが、講師の仕事とは大きく違っていた。

講師業のほうは、全責任を一人で背負うプレッシャーはあるものの、15回も講義があるから改善しながら授業を進められる。でも今回の栄養セミナーは1回やり切りで、妹の夫の顔に泥塗るような仕事はできない、と強く感じていた。

ところが毎度のことながら、日々育児や仕事に追われていて、このセミナーのために準備を始められたのは当日2週間前。講義計画書をエクセルで作成を3時間、スライド作成に何十時間かかけて、何度も見直し完成した。

妹の夫、彼の職場の方、参加者の皆さんに大満足いただけるセミナーとなった。
私にとっては経験のない対象者で、難しいなぁと感じることも多かったけど、すごく良い勉強になった。仕事についてくるもの拒まずでのちのち大きな苦労をすることもある私ですが、それでいいんだ!と思った日でした。もちろん、自分の専門性をしっかり見極めないと依頼者に迷惑がかかることもないとは言えないけど、、、だいたいの仕事は受ける。それがモットーなのかも。(でもさすがに金融系の翻訳は無理、ってわかったから今後はいくら単価良くても受けないことは決めた)

全てのことがありがたい。

最後におまけ的に書いておくと、ランチに食べたVOVOというカレー屋さんのカレーが超絶美味しくてバカ食いレベル。感動が抑えきれずにお会計のとき「すっっごい美味しかったです!!!」と元気に言いすぎて、店員さんがビビッて笑ってた。

私、初めての海外でインドに行ってめっちゃうまいカレーばかり2週間食べていたことがあったから。美味いっていったって、しょせんカレーだろー?みたいななめかかった気持ちで食べ始めたから、卒倒。美味すぎて。写真なんか取ってられない。食べるのに夢中で。女子がカレー大盛なんて…思ってたけど、大盛なんて余裕で完食できる。
今すぐまたカレーが食べたい。

 

笑うが勝ち

昨日は大変な日だった。
水曜日から娘が熱をだし、育児をしながら何とか仕事をして、納品して、な日々で。
金曜は夫が休みだから仕事に専念できるー!と思っていたのに、
次は息子が耳が痛いと。急いで病院へかかると急性中耳炎の診断。
だから昨晩は全然寝ずに泣いていたのか・・・納得。

夫は昨日、一昨日と長野、青森出張のせいでか?風邪をひき声ガラガラ。このタイミングで体調崩すなんて…ひどすぎる。

こんな状態でも何とか仕事はやらないわけにいかないので時間をもらい、
仕事。そして仕事の打ち合わせで出社。保育園に寄り週末の荷物を受け取ったり、薬局で薬受け取ったり、目まぐるしく働いた後。すっかり元気な娘が児童館と公園に行きたいと、いうわけで体調不良ペアを自宅に残し、児童館へ。さすがに17時過ぎにはお外真っ暗で公園には寄れず。近くのサイゼで二人で外食。平日はもちろん、週末も夫いないこと多いから外食する機会がない我が家。娘はたまの外食に大喜びで食べまくる。
大人一人で未就学児2人と外食なんで地獄絵図ですからね。

帰宅。体調不良の夫のためなのか?部屋がめっちゃめちゃ。何?この荒れよう…ストレス限界に達したな、と感じつつここは無になろう。無視決め込もう。と。仕事ができただけ、息子がたいしたことなかっただけ、よかったと思おう。夫が体調不良なのに育児に励んでくれたことだけでも感謝しとこう。

そんな思いでなんとか21時には就寝。息子くん昼寝しすぎてぜーんぜん寝ない。元気いっぱい。ブ~で遊ぶのー!と薄暗い部屋で大きいのから小さいのまで走らせる。私、疲れ切ってるのに…横目で爆睡の夫。娘もやっと寝てくれた。あとはこの頭でっかちボーイだけ。

夜も22時を回るころ。娘がむくっと起き上がって咳き込んだと思ったら、布団に嘔吐。わたしに嘔吐。

なんか、この瞬間に心の中で何かが壊れた。

娘の心配より布団が汚れ、部屋が汚れ、吐しゃ物まみれの自分の汚れに愕然して娘に早く洗面所に向かいなさい!と怒鳴り散らす私。最低。
隣で寝続ける夫にさらに心神喪失状態になる。何もわからぬ息子はひたすら遊ぶ。

疲れてるんだな。完全に、崩壊。

のそのそと起きてきた夫が娘を介抱し、私が汚れものをひたすら片付け。全てが終わり冷静になり娘に悪いことしたなという思いだけで、涙が出てきた。
疲れがたまってたとはいえ、娘の心配より先に汚れを心配するなんて。しっかりしないとな。

育児と仕事と子育ての両立は過酷すぎる。さらに頼るべき夫はほぼ毎週のように出張で不在。実家の親は毒親。なんとか自分の心、考え方を変えていかないと。このままじゃ子どもたちに悪影響だ。

笑うが勝ち。物事シリアスに考えすぎるより、笑い飛ばすくらいがちょうどよい。
なんで自分だけが?という思いにならない。そういう思いは悲観的な自分をつくるだけ。なんでも、笑い飛ばすくらいがいい。

病気の娘と在宅仕事

一昨日から発熱で保育園をお休みしている娘。私の場合週2日程度は会社に出勤するけど、そのほかは在宅勤務なのでどうにかこうにか自宅で仕事をしつつ育児をする。

子どもも4歳くらいになれば「待っててね」とか「お仕事しているよ」とか話が通じるので、彼女が退屈しないように新しいおもちゃを買ったり、録りためた映画に頼りつつ仕事。幸い、熱はあるものの元気な娘と、翻訳仕事に追われているが納期にはゆとりがある私と、ほどよくいい時間を過ごせた。

買ったおもちゃはコレ!
Amazon スイスイおえかきシート
ねんどやだ、っていうので大至急購入してみた。これ、いいね。
長く遊べるし、夢中になってくれたので母は仕事に集中できました。

これが1歳の息子なら、こんな風にはいかない。すぐに「ぱいぱ~い」と授乳をもとめてきたり、そもそもパソコンに向かっていようものなら「ママあそぼ」とやってくる。
お話しが通じないから。

私の身近なママ友でバリバリフル勤務ママさんたちは病児保育サービスを利用する方も少なくはないみたい。私の場合はそんな勇気も覚悟もないから、なんとか家で育児しながら仕事する、っていう選択になる。ただ、この選択も決して楽ではない。だって、納期があるから「思ったように仕事できなかった」じゃすまないわけで、とにかく集中したい。納期に遅れない、っていうのは、トイレでちゃんとおしりを拭く、食後は歯を磨く、という次元であたりまえのことなのだ。また納期当日納品というのも余程のことがない限り避けたい。即納案件もあるから、絶対ではないかもだけど。常に相手の立場を考えて、仕事をするというのは、どの業界も同じですよね?

主にパソコンのみで仕事が完了する翻訳は、そういう細かなところに気遣いが必要だと思うし、そういう気遣いこそが次の仕事にもつながるのだと考えています。それこそ、翻訳精度がよい(最低ラインを満たす)のは納期に遅れない、ってことと同次元で必須ですけどね。

子どもがいるとこういう事態(病気で登園できない)は頻発するし、子どもが増えるほどその頻度は急激に増加する。だからこそ、日頃から早め早めに仕事に取組み、納期にゆとりを持てるようにする、あとは無理して引き受けない(正直にコーディネーターさんに伝える)、日頃から丁寧な仕事を続ける、なーんて書いてみればどれも当たり前のことだけど。当たり前が大事ですよね。

そんなわけで、今週は栄養セミナーという仕事があり、来週から講義クラスがまた増えたりと大忙しですが。週中に発熱してくれて、これ幸い!なのかも。講義やセミナーなど代わりを立てられない仕事に穴はあけられないからな。。。

4歳になると発熱なんて稀だから、こんな日こそべったり過ごしてやりたいなぁとも思わなくないが。楽しみは年末年始のスキー旅行にとっておいて。平時はコツコツと仕事と育児をやるしかない。あと手抜き家事を。

母親が仕事で成果を出すってかなりの努力、周囲の理解、段取り力が必要だと感じますが、できないことはない気もする。とはいえ、私自身模索中で、ことあるごとに「父親っていいよね。家出た瞬間に家事や育児から解放だよね。帰宅する頃にはご飯もできてて、子どもも寝てて、のんびりご飯食べたり風呂入ったり、テレビに爆笑してられるんだよね」って刺々しい言葉を夫に投げまくっている気がする。

夫と言えば、出張ばっかりの部署にいて昨日は長野、今日は青森、しかも基本は日帰り。大変だろうな~と思います。だからあんまり毒々しく、刺々しく夫を攻め立ててもなにもならないと思うきもち、でも誰かに胸の内をぶつけないと気が済まない妻です。

だから、こうしてブログに書きまくることはひとつのストレス発散ですね。