子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

できることからはじめる

ブログを開設して1年くらい経ちました。
そして、2018年も半年が経過(;'∀')やべぇ

7月になりました。
妹の子供生まれた!昨日!あーーーー!幸せ!
生まれたての赤ちゃんの写真が送られてきたのだけど、生きるパワーが溢れてる。
早くリアル赤ちゃんに会いたいわ。

世間では、W杯敗退や、噺家の死去のニュースが印象的。
特に、桂歌丸さんのニュースを見るたびに、とても大きなパワーと感動が胸に湧いてくる。かっこいい生きざまだなぁ…と、ひたすら感心してしまう。
苦しくても、人への情を忘れず、仕事を愛して、やり抜いて、かっこいい。

生きてる今日も、この瞬間も無駄にできません。

最近始めた健康習慣は、階段愛好家になること!8階にあるオフィスも、階段を使うようにしたら少しずつ体力ついてきた気がする。しかも1フロア26段もあるんだぜぇ!
5階に到着した時点でハードな息切れなんですけど。結構ビビる段数じゃないですか?26段って。「あぁ。エレベーター乗りたい。乗っちゃおっかな。」って迷っていながら、えいっ!って階段向かう。苦しいところまで階段で。辛くなり始めたら、エレベーターへ。継続するためにも無理しすぎはだめです。ジムに通う時間ない!と思わずに、運動のチャンスを見つけたら、すかさず運動!

最近始めた育児習慣は、子供に自分で明日の用意をしてもらうこと。大人がやった方が俄然早いんですけど。娘はあと半年もするとランドセル―!ピッカピカの1年生!ってやつなのでね。少しずつ、自立を促しつつ、大人も努力。あとは、音読始めた。まだスムーズに字が読めない3月生まれの5歳。学習系お稽古のおかげもあってか、結構意欲的に取り組んでいるし、読める!ってのが楽しそう。

小学校進学という新しいステップに向けて、子供との朝活習慣と子供部屋のレイアウトを検討中。あとは、英語学習どうするか?働き方どうするか?いろいろかんがえてるけど。できることから少しずつ。着々と進む。大きなことでも小さな一歩を踏み込んでしまうと、案外楽に道が開けることもある。

考えすぎて時間ばかり過ごしてしまうのではなくて、とにかく1歩を踏み出そう。それが座右の銘かもな。

人生苦しみぬいたら、その先には楽があるかも?!
人のために、自分のために、今日も小さな1歩を踏み出し続ける。

生化学講義があと少しで終わる―!うれしすぎる―( ;∀;)

幸せは「言葉」が決める

言葉は呪文のようだ。
「楽しいね」って言っていればなんだか楽しくもなるし、
「詰まらないよね」っていっていればなんだかつまらなくもなる。

その〈なんだか〉って部分が言葉の魔法がかかってるところで、
実は対して「楽しく」も「詰まらなく」もないことを「楽しく」や「詰まらなく」させたりするよね。

いつも心にモヤモヤを抱えているような気分の自称アダルトチルドレン気味なわたし。

先日、とある占いで「殻を破る」というアドバイスを発見して、とてもピーンときた。
35歳、じゃなかった。もうじき37歳になるのに、まだ人付き合いに、特にママ友づきあいにウダウダしていたんだけど。この「殻を破る」の言葉を目にしたときに、何かふさがっていたものがパーンと外れた気がした。

人目を気にしすぎるのは、性格か?それとも、自称アダルトチルドレンが要因か?

人目を気にせずに『嫌われる勇気』でも読んでろ、と自分に思っていました。が。
この「殻を破る」でパーンと何かが弾けてからはすこぶる調子がいいのです。心の調子が。どんな人と対峙しても、自分らしくいられるような気がして、いまのところウダウダしていた人付き合い苦手な部分も、急に晴れ間が見えたような。

これが一次的な梅雨の晴れ間ではないことを願います。

それでもこの言葉に、何かが弾けたことは確かで。逆に殻かぶっててできなかったんだ、って事実と向き合ったっていうか。積極性に拍車がかかり、思考回路がtake, take, take &giveだったような私が、give, give, give,give, love-!みたいな、脳内ハッピー回路構築。言い換えれば、見返りを一切求めず、人のために、愛をこめて。みたいな。

自分の幸せが人の幸せとは限らないけど、人の幸せは巡って自分も幸せということは大いにある!

言葉の力は偉大だなぁ…なんて、思う最近です。

話題の映画を観たよ

是枝監督作品の『万引き家族』を観に行ってきた。たまたま講義が休講で、
ぽっと時間ができたのだ。

結婚前こそ映画好きで、年間100本くらいは映画館でおひとりさま映画鑑賞していた。
映画ブログも書いたりしてた。そのくらい、映画館で映画を観ることが大好きだったし、映画は映画館で観たい!って思っていた。
結婚してすぐに子供に恵まれたこともあるけど、妊娠中に『アウトレイジ ビヨンド』を観たのが最後で(しかも銃撃シーンで初胎動を経験(笑))、それ以降はぱったっと行けなくなってた。

子供が3歳になったころに『ズートピア』を観た。二人目の子供を出産後は更に映画館から足が遠のき…久々に今年は『ドラえもん のび太の南海大冒険』を観た。子供と。

だから、おひとりさま映画は実にあいまいな記憶に基づくと6年ぶりくらい?!
嬉しかったな。それでも、仕事の合間に行ったから駆け込み状態で。席に座った瞬間にタイトル表示された。あぶねぇ。なんとか間に合った。

で。なぜ『万引き家族』だったのか。パルムドール受賞したから?ではない。
アマゾンプライムビデオで『凶悪』を観て、リリー・フランキー怖っ!と思って。観たくなった。だから、カンヌうんぬんとか、是枝ファン、とかってわけじゃなかったんだ。是枝作品は『誰も知らない』を観たくらい、多分。(柳楽くん、もう大人)

感想。

子供は生物として未熟だけど、大人はみんな不完全。
だから、その不完全さを補い合って生きているだな。
結婚するということも、お互いの不完全さを補い合っていくことを
約束したのかもしれないな。夫の不完全さをまるごと補っていこうじゃないか。
私も補ってもらってるんだ、大なり小なりね。

子供は生物として未熟だけど、大人よりも完全かもしれない。キラキラした、純粋無垢な瞳で、世界を見ている。でも、生物的未熟さ故に環境に大きく左右されてしまう。左右されざる負えない。
大人は不完全さを自分で認められなかったり、認めてもらえなかったりすると
弱い者いじめを始めるんじゃないだろうか。
だから、万引き家族は互いの不完全さを補い合っているから、血縁がなくても
温かくて、本当に「家族」になれたんじゃなかろうか。

安藤サクラ演じる「信代」が、
大好きだったら叩かない。ぎゅって、抱きしめる。と「りん」に教えているシーン。
虐待といえば目黒の虐待事件が記憶にあたらしいけど。たとえ血縁がなくても、こうしてギュッと救われる命があって、守られて生きていける場所があるといいのにな。結局「りん」は体罰する家族のもとに返される。その話を安藤サクラが受け止めるシーンも涙なくしてみれなかったな。

心にモヤモヤが残っている。ずっと。

 

 

人は変えられない

なかなか思うように行動変容しない夫に勝手にうんざりしている妻です。
例えば、ウォシュレットを使った後はちゃんと拭く!とか。
例えば、ごみ箱の蓋は開けたらしめる!とか。

取るに足らないいくつかのこと。
でも些細な事って、快適な日常には案外必須です。

もっと寛大に夫を受け止めたらいいのかなぁ。
そもそも、人を変えようだなんて、無茶だ。

いろいろ思いながら、感情のままに「またかー!」と
夫にお説教を始めてしまう。結局、やれやれって
同じことが繰り返されて、未解決。未解決事件が多いです。夫婦間。

世の夫はそうだ、大抵。
という夫。

あなたは特別な男性。だからできる!
と魔法をかけてみる妻。

魔法ぜんぜん威力なし。

他人と家庭を作り、そこで快適に暮らすってそれなりに
すり合わせが必要だろうけど。夫の変わらなさといったら、、、もう。
そんなもなのだろうか。

人を変えるのは無理だから、自分を、環境を変えよう!
とウォシュレット撤廃宣言をしたら慌てだした。

結局、自分が困ることは避けたいから、そうなると動くらい。
なんて、思いやりのない人。
でも、私もいい加減知っている。
人はそうそう変えられない。自分が変わった方が、自分を変える方が
数倍健康的で手っ取り早いってこと。

育児もそう。

子供は自然の一部みたいに、お天気だったり雨降ったり、
大人からは到底理解できない、お構いなし。かと思いきや、
すごくピュアで、自分の常識は正しいのか?って
問いただしたくなることもある。

極論、夫も子供も同じ。

変えられるものを変える勇気を、
変えられないものを受け入れる冷静さを、
そして両者を識別する知恵を与えたまえ

夫の行動は変えられない。私は変われる。

いつでも平常心

物騒な事件、悲しい出来事、耳をふさぎたくなるような、目をそらしたくなるような
そんなニュースが最近多い。
人の心が寂しくて、満たされなくて、何かを欲していて、でもそれが得られなくて。
でてくる事象は違っていても、元をただせば結局は心の充足感の欠如なんだろう。
心が愛で満たされているとき、人は人に凶器の意思を向けないだろう。

私自身、他人を受け入れられない、落ち込みやすい、ちょっとしたことで不安になる、という心がある。そんな心をやさしく受け止めてくれ、理解を示してくれる夫に出会うまでは、本当に心に拠り所がなく、不安な、壊れやすい心だった。

今だって、そうだけど。確実に、少しずつ、心の平和な日が続いている。

原因は性格かもしれない。生い立ちかもしれない。過去にさかのぼって
過去を正すことは難しい。

それでも、今日も明日も生きていくためには「平常心」を身に着けていくしかない。
動じない心を、穏やかな人生を送るために培うしかない。

小さなことにこだわって、大事なことを見失わないように。
身近にいて、いつもどんなときも愛で包んでくれる人たちに感謝して。
自分らしい生き方を貫くために、世間や人様に惑わされずに。
いつでも平常心。

これぞアラフォー?疲労回復しない

キャンプでワイワイにぎやかにやっちゃった週末から早4日目。
いまだに疲労感ずっしりの体。子供たちの過激な振る舞いに泣けてきちゃう心。
心身共に疲労困憊中です。まったく、擦り切れ雑巾。

キャンプのために仕事を全力でこなして、キャンプから帰宅して
いつもの仕事をこなしているだけなのに。
しかもここ数日、ちょっといい夢?みちゃって、続き見たさに早起きもできず。
4時起き(通常は3時始動)。なのにねむイ。なぜ。
仕事について、講義が8回目が終わり。折り返しきたきた、って思ったものの。
ありがたいことに、翻訳の仕事も、研究支援業務も忙しい。

仕事の忙しさって、逃げられないし、適当な仕事できないしで、辛いんだな。何より、眠いわ。なんでだろう。

昨日も娘の些細な一言に悲しくなって、泣く。ゆりちかちゃんの番組みて、
どうしようもなく泣く。朝は夫がいつもの話聞いてないかげんに、泣く。
疲れて、( ;∀;)涙がでてくるのかな。相当だよね。

で、昨日は子供たちがアメシャン(水たまりに頭を自ら突っ込む)して、びしょびしょで、いつもなら大笑いだけど、怒る気力もなく、悲しい。

朝から息子が白い壁に得意げになにか描いてる。しかも油性ペンで。これには、激高。

こんなこと(笑えないような心身の状態)が続いては、周りにも心配や迷惑をかけたり
子供にも申し訳ないので…ささっと仕事を片付け、お迎えの時間まで
眠りたい。

 

他人軸で生きない

気が付けば6月突入。梅雨間近のせいか、あつーい毎日です。

不安が多かった大人数キャンプが無事終わり、ホッとしたのと同時に
子供たちの成長と私自身の人間不信の改善を感じている所。
結局、完璧主義な人って八方美人にもなりがちで、さらに自己顕示欲も人より強いから
他人から見た自分がきになり、人間不信に陥ているっていうバカループ突入。

今回のキャンプは総勢25人!!!という、まるでモンゴルの民族移動のような規模でのキャンプでした。だから、いろんな人がいる、パパがいる、子供がいる、ベビーがいる。そもそもママ友とか苦手!って感じていた私にとっては苦行そのもの…とさえ思っていたのだけど。

それもこれも、完璧主義的な自分の正確が災いしているのだなぁ~なんて。実感したり。だってわが夫。他のパパたちと比べてみると、とっても浮き浮きキャラだったんだけど。当の本人は「ありの~ままの~姿みせるのよ~」の人なので、一切気にせず。全く人に流されない、かと言って協調性はちゃんともってる人。

ママ友からは「パパ素敵だねー」と言われてデレデレの普通の人。でも「ありの~ままの~」で生きているから、とても生きやすそう。

そして夫からすると、私はとても生きにくそうで、いつも人付き合い辛そうさんだそう。わたしも自覚してたけどね。

なにがどうしてそんなにも苦手なのかな?!って今いちよくわからず。ありのままで生きられたらなーと夫をみていて思う日々でしたが。その辺の自分自身の不具合も解決の糸口が見えてきたと思う。

結局はいつもベクトルが自分にばっかり向いてるやつなんだな、私。
だから人からどう見られ、どう思われるかが気になり、他人軸で生きてるよね。
家族の前では素っ裸の心で生きているから、ありのままだけど。

キャンプを終えて、私の心も少し前進できました。