子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

人生は短い

GWがあっという間に終わって、日常のあわただしさが戻ってきた。それでも、
連休前より連休後の方が、新しい気づきを生かそう!って日々過ごしているせいか、
ちょっとずつ快適になってきた気がする。それに、義父からいろんな話を聞かせてもらい、心のままに生きるって、やっぱ大切。だなんて、思った休暇でした。

最近暇さえあれば、gossip girlアマゾンプライムビデオで観まくってるんだけど。つくづく、面白い。教訓もあるし、目も楽しい。友情や家族の絆、人々の成長が感慨深い。

昨日はtedで「時間という財産」という日本人プレゼンター(Hidetaka Nagaokaさん)の話を聞いた。で、自分の時間の使い方について紙に書きだしてみて、気づきを得た。私は以前、翻訳会社にいた。本であふれかえる会社だったのだけど、社長の本はどれも読み放題で、そのうちの1冊。枝廣淳子さんの「朝2時起きで、なんでもできる!」を読んで、大きく人生が変わった気がしている。この本を読んで以来、私は3時起き(今日は2時起き)の超朝型生活がスタートした。24歳だった。当時、翻訳会社で校正者として勤務していたのだけど、超朝型生活にして翻訳の勉強を始めたんだったな。

それから4年後。

フリーランス翻訳者として仕事がもらえるようになり、転職。兼業翻訳者としてとある研究機関の国際部署で8年つとめ、その間に非常勤講師になり、大学にも進学して(現在は退学)、結婚し、管理栄養士になり、今に至る。今も翻訳と管理栄養士と2足の草鞋生活。

そんなことを、tedを見ながら思い出していた。「わたし、人生2回生きてたんだ」って思っていた。自覚的じゃなかったけど。枝廣さんの本をきっかけに、ある意味常識を捨てて、ライスワークとライフワークを両立させていたら、ライフワークがライスワークにもなった。ある意味、人生を変えた1冊なのかもしれない。

だけど、人に「3時起きです」っていうのがなんか、ガリ勉みたいで?恥ずかしくて、言えない。でもそれも枡さん(アナウンサー)の「3時にスタジオ入り」って話をテレビで観て以来、「わたしもアナウンサーと同じ」と思ったら、いまだに積極的に人には話さないけど、なんか「人とは違う、浮いてる」みたいな、感じがなくなったような。でも、そんなのどーでもいいか。

人生は短い。時間がない、なんて言ってられない。

枝廣さんの本を読んだのが24歳で、その後、30歳過ぎて子育てに追われるなかでも、国家試験に挑戦を始めたころ、吉田穂波先生の「時間がない、からなんでもできる!」を読んだ。それで、子供がいて、育児があってもやり遂げられる、という気持ちを得て。国家試験を乗り越えた。吉田先生の忙しさと比較するなんておこがましいのは1万も承知だけどね。さらに、育児に手抜きできない性分だけど。自分のなかにあった「育児で忙しい、だからできない」って言い訳がきれいに流されて、目からうろこで、、、っていう衝撃を覚えている。

2時起きのすすめ、を読んで実行する人はどのくらいいるのだろうか?あんまりいない気がする。

ずいぶん前に出た翻訳セミナーで。ちょっと癖の強い翻訳者が(私の知る限り、翻訳を生業にしている人は一癖あるひとばかり)言っていた。「私がいまここで、儲かる翻訳者になるためのノウハウを説明して、この会場で実践するのは何%でしょうか?1%未満だと思います。」というようなことを言っていた。つまり、「翻訳で稼げるっていーな!」と思っているくせに、「この方法でやれば稼げるよ!」と聞いても「○○さんだからできたんでしょ。」みたいに、実行しないやつばかり。ということ。

人は言い訳がましい生き物。すぐにできない理由を探す。やらない自分を正当化する。

人生は短い。いつ終えるのかわからない。だから、いますぐ取り掛かるしかない。言い訳を考える時間に、1歩でも1寸でも、先に行く。

問題は、やるのかやらないのか、ってこと。「もしも」のまだ起きていない不安で動けなくなる前に、自分の心に従ってすぐに動く。自分を信じられるかどうか、ってことなのかもね。

 

 

心地よさの実現に向けて考えてみる

今年は10連休。海外とか行くのもいいけど、我が家はここ数年GWは3世代旅行です。
夫の両親とともに夫実家を拠点に温泉行ったり、軽井沢いったり、BQしたり、キャンプしたり、スキーしたりと1泊旅行を入れつつ、手軽な旅を楽しんでいます。

で、今年のGWは温泉、釣り、サファリパークやこんにゃくパークなどなど。連日どこかしらへ出かけ、充実した連休。幸い私の仕事もゆるいペースなので、結構朝寝坊したり、PC開いても海外ドラマをひたすら観るだけ、という感じ。

プレジデントを読みお金についてあれこれ思索したり、LEE読んで自分の年齢を思い出したり(笑)。普段はできないこと、時間にゆとりをもつ、朝寝坊、ご飯をつくらない!とか。とにかく、のんびりしています。ゆるむ時間。

連休だけじゃなくて、日々のなかにももう少し「緩急」つけた方が、仕事にも成果が出せるのではないだろうか。実際、こういう連休で「休みます」宣言できないとき、仕事が多くて。集中力が低いというわけではないように思うけど、なかなか仕事が完了しないのは、育児に手がかかるから?息子の深夜授乳も一因ではあるけど、なにか、どこかにもっと「心地よい仕組みづくり」が必要な気がする。ゆっくり考えられる今こそ考えたい。

仕事もほとんど自営業。職場も近距離で、さらに自宅での作業も認められている。
保育園も近距離。実家の手助けは全くないけど、仕事や住環境を整えたから、以前と比べてかなり快適なったはずだけどな。「大変さ」「休みがない」と感じるし、「いつも仕事に追われている」って感じ。その繰り返しが小さな「フラストレーション」につながって、蓄積されて「心地よさ」とは遠くなる。

じゃあ、私がイメージする心地よさって?

例えば、この連休。実家の手助けがあることは「夕食づくり」「洗濯干す」くらいなのかな。あとは仕事量少ない。だからストレスが少ない?逆に夫は息子に戻っちゃって、たいして手伝わなくなるしな(笑)ということは、夕食づくりを簡単にして、洗濯を乾燥機に任せれば解決するのかな?

でも、平時の夕食づくりはわりと簡単。かかっても1時間未満だし。洗濯にかんしても「畳まない」洗濯にしたことで、結構簡単になった。心地よさには「減らす」「やらないと決める」が必要なのかな。

平時の仕事量、タイムスケジュールを洗い出してみよう。そしたら、何に「大変さ」と「心地良くない」が原因となっているのかわかるかもしれない。連休の特別感を楽しむのはこういう「育児ラク」じゃなくて、特別な体験を楽しみたいから。

平時から「大変さ」「心地悪さ」を「気楽に」「心地よい」へシフトできて、特別な休暇の時間は特別な体験を重視したい。心から「楽しむ」。子供のための連休じゃなくて、大人も子供も全力で楽しむ「体験」をしたい。

そういうことを「誰かの助けがないとできない」って制限付きにするのではなくて、
日常的に「気楽に」「心地よい」を考えて追及したい。その方が、結果的に「いい育児」「いい仕事」「いい夫婦関係」につながるはずだからさ。

特別を待つ日常は嫌だ。特別な日を全力投球する、全力で楽しむためにも、
平時が大事だわ。まずは、やっぱり洗い出しだね。

大学を退学

なんだか、あっという間にもう5月か。早すぎて目が回るわ。

4月から料理カードの翻訳作成(9セット)という知的&精神的重労働にとりかかってて、昨日にようやく完成した。解放感半端ない。その解放感と、真夏のような日差しの強さにやられて、完全に疲れ切った。と同時にやり遂げたという達成感と安心感でいっぱい。

翻訳もそうだけど、切羽詰まった状態、だめだな。計画的にコツコツと。

大学のこと、ずーっと検討していて、結果として退学することにした。
理由は、書類手続き(レポートやら、なにもかも)の煩雑さが、いまの自分の環境では乗り越えて卒業するに至らないだろうと判断したから。
もともと、管理栄養士試験のために学びなおしを決意して進学と学位をとることを目的にしていた。管理栄養士は無事取得したから、あとは学位。大学院進学を念頭においた大学学位なので、「卒業できる」ことに重点を置いて検討を続けて、結局退学することにした。

時間の使い方、という点で乗り越えることが難しいな、って思った。大学の勉強がない今の状態でも仕事、家事、育児でへとへとの毎日。そんななかで、国試に合格したのはほんと、よくできたなー二度としたくないや、と思う(笑)。

子育てのかわいい、癒しの時期?に自分のことだけに集中するのはもったいない、と感じてて。優先順位は育児と仕事、が同列。家事は夫と協力でシステマティックに手抜きする!ここに学業を加えるなら、勉強環境を整えないと無理だなーって、、、って感じてて。多くのこと(事務手続きからレポート提出やスクーリング)をオンラインで可能な大学にすることが、いまの状況で学位を取得するためには向いているのでは、という結論に達した。

限られた持ち時間をどう使うのか、ということがいつも課題。
さらに精神的充実感を得るためにも趣味に対する取り組みや「優先度の低い重要なこと」への時間配分も大切だな、って強く思ってる。

今年のGWは若干仕事をセーブしつつ、時間を確保して第二領域「優先度の低い重要なこと」に取り組みたい。まずは、内容のリスト化だ。

生きる

某朝番組でおばあちゃんのユーチューバーの特集をみた。
居酒屋で出会った若者ユーチューブ動画を作ってアップする。
他には自分で撮影、編集もやってしまうおばあちゃんまで。
先日の洞窟王といい、完全にハートをわしづかみされちゃった。

生きざまが清々しい、っていうか。
悩みはもちろんあるだろうけど、あぁ素敵。

がんで惜しまれて亡くなったアナウンサーの言葉。
「なりたい自分になる」
私は時々この言葉を思います。

私自身、大病をして生死をさまよい、助けられた命。
病院で苦しんでいる最中、「絶対死なない」「まだまだやりたいことがあるんだから」
とひたすら思い続けていた。22歳。

だから、いつか人は死ぬ、ってことを実感した。
幸い命がつながって、もう一度生きる道に進むことができた。
人生、どんなことが起きるかわからない。

「なりたい自分になる」

人生、どんなことが起きるかわからないから
だれかに遠慮して、自分のやりたいことをやらずに
いることは違うと感じる。
人生、いつかは終わる。

だから、持てる力を出し惜しみすることなく
全力で「なりた自分」に向かって進んでいる。

おばあちゃんユーチューバーを見た時も、洞窟王をみたときも
「なりたい自分に全力で生きている」姿に惚れ惚れしたんだと思う。

人の社会で生きていくには歩調を合わせたり、自分を曲げることが
求められることもあるかもしれない。でも、
何かを理由にして「なりたい自分」になる努力をしないのは、
単になりたくないんじゃ?と自分に問いかけてみる。

37歳を前にして、いろんなことがだんだんと吹っ切れてきた。

苦手なママ友づきあいも、軽く割り切れる、その時を全力で楽しむ
って考えにシフトしてきた。

人生100年時代か。

それでも、やっぱり、人はいつ死ぬかわかんないよね。
だから「やりたいことやる。なりたい自分になる。」と
どんな時でも自分の生きる姿勢にしたい。

だって、人生いつか終わるからさ。
いまは止まらない。

ちょっとした感動が原動力になってるなー

 

10年後になりたい自分

年度初めは子供たちの溶連菌連鎖で大変あわただしい2週間だった。
気が付けばもう4月も中旬。はやいよねー

新年度からすぐに講義もスタートし、じつに6年目の春。
今年は8月の夏季期間を除いて、年中ずっと授業というスケジュールです。

学位をとるのか、とらないのか、みたいなことでずいぶん考えてきて、
結局「大学中退」に心を決めて、夫にも宣言して10日くらい。
その考えを改める思いがわいてきている。

結論から言えば、10年後の自分はどうありたいのか?を追求していくと、
やっぱり「学位必要だよね」って結論になり、10年後も現状のままの自分で良い、と
まったく思っていなくて。じゃあ、どんな自分になりたいのだ?
なんて、グルグルグルグルとにかく悶々と考えてきた。

10年後。
わたし47歳!キャー(;'∀') 夫42歳! 娘15歳! 息子12歳。

子供たちもきっとそれなりに巣立っていて、やっぱり
37歳の自分のスライドで47歳を過ごしているのは、望むところではない。
現状に不満があるのか?と言えば、そういうわけでもないのだけど。
上があるのに上を目指さないのは気持ちが悪い、といか。
それは単に職位のことを思っているわけではなくて、その道を究めていくというのか
現状からレベルアップ、と考えると大学院への進学が必然に思えている。
でも「研究したいんだ!」みたいな、そういう想いはいまはまだない。

ただ、自分の講義をより充実させたいな、そのためには深く学ぶことが必要、どうせ学ぶんなら、学位もとっちゃおう。そしたらついでに職位も上がるし。みたいな感じだわ。ただ、険しい道なのがみえてるからか、尻込みして、言い訳まみれる。

私がこの人生で成し遂げたいことはいったい何だろう?
一つは、英語でのコミュニケーションを円滑になりたいな、海外にたくさんいきたいな、見たことのない景色を見て、いったことのない場所へ行きたいな。
とにかく働いて、お金も充実も得て、海外へたくさんいく、それがシンプルに思うことかな。とにかく旅だ!冒険だ!

旅や冒険をするために英語はあったほうがいいし、安全な旅にはお金がかかる。
だから働くの?大学院へ行くの?

でもさ、国家試験に合格することと比べたら、大学卒業って楽じゃないのかな。
決められたことをちゃんとやる、ってだけで大筋OKだから。
しかも、学問を深めるって面白いし。

なんか、だんだんまとまらなくなってきた。そんな簡単に答えはでないか。
でもお金も、時間も、生きていることも有限だからな。もたもたしてられないよね。
まだ見ぬ世界へ旅立ちたい。大学院進学もある意味、冒険です。

時々、こういう自分につかれる。もっと、なんにも目指さなくて
頑張らなくて、だらだらしてりゃいいのに。って思う。
大丈夫かな?(笑)

とにかく、勝手に自分のレールを作って、そのレールから脱線しそうで
苦しんでいる気がして、、、自分が気の毒です(笑)ただのアホなのでは?
でも、いやではないんだろう。

大学卒業したら、考えよう。
あと2年で卒業しよう。

10年後の私は、大学の研究室で研究と講義をして、海外出張にも子連れでいく
パワフルかあちゃん。で英語も何不自由なく使いこなせて、世界中を旅してる。
翻訳も変わらず続けていて(兼業できるかな?)、月収は100万円くらい。

最後に楽天的要素でてきた(笑)

結局、楽天家な私は10年後も今と変わらず楽天家なんだろう。

怒涛の新年度

退職からずいぶん日が経ったけど、感傷に浸る間もなくて、新年度は怒涛のような日々。仕事はもとより、プライベートもてんやわんや。息子につづき、娘までもが溶連菌に感染で、、、ゲリー(下痢)&オート(嘔吐)の連鎖。かわいそう。で、息子は点滴デビュー。1週間の長い闘いを乗り切った!日常って最高!という喜びもつかの間、娘にもゲリー&オートの到来でまた、非日常へカムバック。大人もなんだか、体調不良で、なんだかつらいわー。

 

新年度のあわただしさと、家庭のどたばたで、いろいろ記憶ない。
そんな中でも、仕事に支障をきたさずにやり遂げてる。わたし、、偉い!頑張った!と褒めておこう。夫もよく頑張ってくれた。夫婦共働きの連携が見事に発揮できた、試練の日々だったな。と、まだ終わっちゃいない。

それでも今日は第1回目の講義が始まるんだよ。
こんなもんか、と割り切って日々を懸命に進むだけ。

書き留めておきたいのは、昨夜観たテレビ、洞窟王の吉田勝次さんの生きざまに感動したこと。

誰も成し遂げたことのない、未踏の場所へ突き進む。その姿に惚れ惚れ、感動するひとも多いはず。私もその一人。難しいことに挑む姿が美しすぎて、開いた口がふさがらない。「生命を燃やす」生き方、に見えた。たとえその相手は「洞窟」じゃなくても、わたしも「生命を燃やす」生きざまでいられたら、と憧れる。自分の思いに真っすぐな、そんな姿を尊敬する。

いろいろと諦めがち、諦める理由を探しがちだけど、「知りたいから、いく」みたいな、シンプル明快、純粋な、まるでこどもみたいな心が美しい。

わたしも「なりたい自分になる」ために、、諦めないで、言い訳しない、と自分に決心したい。

退職

昨日、長年お世話になってきた職場を円満退職した。
こんなに一つの職場で長く勤務したことはなかったから、というだけでなく
自分の人生にとって大きなきっかけ、変化、チャンス、人との出会いを与えてくれた。そんな職場だった。

翻訳会社を会社都合によって急に退職することになった1か月だったな。年末に沖縄へ帰省しているなか、履歴書を送っていた昨日までの上司から電話をもらい面接へ。1対5の面接にかなりビビった記憶だったけどね。即採用してもら、年明けからの勤務が始まった。

世間知らずな私だった。

目上の方への言葉遣いも、何もかも。すべてゼロから身に着けていく日々だった。アカデミックな世界にかかわるのは初めてで、右も左もわからない、ってこういうことだな。そう感じていた。上司は月半分は海外出張。部長だから、部長不在でも来客対応したりといろいろ気を遣う仕事だった。上司がよそからよく思われるよう、言葉遣い、身だしなみ、立ち振る舞いに気をつけるようになった。わたしの上司は幸い、お人柄がとても優れた人格者であり、お医者さんであり、キャリアもある。今から振り返って考えてみても、非常に恵まれたスタートだった。

3年くらいが経ち、周囲からも認知され、仲間もでき、楽しい日々を送っていたころ。業務に物足りなさを感じていた。それでも、私の周りは管理栄養士、一流大学院卒、語学堪能。実際にはそうではなかったのかもしれないけど、そのころの私には全員がそういうすべて揃った人たち、と思えていた。対する私は、中堅の短大卒で、栄養士。いちおう、フリーランスの兼業翻訳者ではあったけど、まだまだ駆け出しで自信もなければ、英会話力はとてもなかった。国際部署だったから、英会話必須だったのだ。

2011年に東日本大震災が起きた。

現地へ栄養ボランティアを派遣するため、職場では管理栄養士が集められた。栄養士ではだめだった。そのことが、私が管理栄養士を目指すきっかけとなった。「資格がないと人の役にも立てない」そう感じていたのだ。

まずは、実務経験。

短大卒が管理栄養士国家試験にチャレンジするには、実務経験が必要だった。勤務時間の規定もあり、まずは上司に相談し実務経験に認められるよう働き方を見直した。そんな頃と同時期に「バイトしない?」という声をかけていただき、専門学校での講師業が始まった。「短大卒の栄養士、栄養実務無し」というだけで非常に自信がなく、また生徒たちに申し訳ない思いだった。それでも、引き受けた、いただいた仕事なので、何とか形にするために相当勉強し、苦労していた。

時を同じくして、今の夫と出会う。

夫との出会いも、職場の友人がきっかけ。合コン的なものではまるでなく、夫からの私への第一印象は「記憶にない」レベル(笑)それでも、私が一方的に惹かれ、押して、付き合うことになったと思ったら、3か月でプロポーズ!夫はまだ25歳。私は30歳になる年だった。そして、同時に妊娠も発覚。怒涛のような日々だったけど、結婚式も無事に挙げることができ、職場の多くの仲間たちに出席いただき、上司にはご挨拶もいただいた。思い出深い。

第1子出産。

産休をいただき、産後半年で職場復帰。そしてその年の冬から、講義が始まった。結婚までも怒涛だったけど、その後もずっと怒涛の日々だった。慣れない育児、慣れない講師。なんだか、辛かった。育児が楽しめなかった。毎日が本当に精いっぱいで、記憶にない。

子供が2歳になり、講師業もなんとか3年目を迎え、実務経験も満了。初めての国家試験受験だった。完敗。1点足りず。そして、第二子妊娠。夫は長男なので、考え方は古いかもしれないけど、、、待望の男の子ってやつでした。しかしながら、2月に息子を出産した2週間後には国家試験を受験。そして、完敗。今回は3点足りずに不合格。2年連続不合格!講師業はそこそこ慣れてきた頃だったけど、1クラス1科目で始めた講義が、このころは4クラス3科目に増えていた。忙しすぎた。兼業翻訳もまったくやらなくなり(できなくなり)、翻訳からどんどん離れていった頃。

二人育児が怒涛の日々に拍車をかける。

2人目の出産後、産休中に翻訳業を再開。今後の働き方をいろいろ考え始めたのも、二人目出産が契機となった。「今年こそは合格しなければ…!」3度目の正直、という追い込まれた状況。毎年年度後期に講義が集中するスケジュール。もう限界を感じて、産休明け直後に出勤日を半分に減らす。

産休と同時に入ってきた人に仕事を奪われた形になった。自分の限界もありつつ、そんなことも感じていた。その子は、賢いがずる賢い。私はその子をうらやましかったのかな。とにかく嫌いだった。不幸を願うくらい(笑)。大好きだった上司も、その子にとられた!って感じていた。(どーんな発想なんだか…)産休明けると仕事がない、という話。よくあるかもしれないけど。ちなみに、その彼女は管理栄養士で、帰国子女のバリバリ英語完璧ガールだったんだな。大学もアメリカで学位をとって、文句なしの才女。負けていたのだ。すべて。だから、悔しかったけど、勝てないと思っていたんだと思う。だから、嫌いになったのかな。子供じみてる。

とはいえ、仕事は仕事ですからね。そんなことは言いませんけど。

で、出勤日数を減らしたと同時に、同じ部署の別部屋への移動を命じられた。このころ、辛いピーク。自分よりキャリアが?上の人に、大好きな上司もポジションも奪われた!完全に被害妄想してた頃。もうこの職場は辞めよう。新しい働き方を考えよう。そう思い始めたころ。気持ちは孤独だった。管理栄養士国家試験の受験プレッシャーもあったからだと思う。

そんな胸の内、夫にしか話せなかったな。夫は、さっさと試験に合格して次に進め!といつも励ましてくれていたような。

3度目の国家試験で、ようやく合格!!!勝ち取った。二人育児でも、Wワークしながらでも、合格したのだ。3度目だけど(笑)上司をはじめとする先生方、お仲間が合格祝いパーティーを開いてくれた。ホテルの豪華なディナーだった。夜景がきれいで、頂いたお花もきれいで、久しぶりの夜の外出で、なんだか緊張した。

試験を終えてから、仕事の状況がどんどん変わってきた。

翻訳を本格的に再開した。そしていろんなご縁をいただき、栄養分野でも翻訳の仕事ができるようになった。その2か月後には、これもご縁をいただき、別の機関にお手伝いにいくことに。そして、ここの機関がわたしの来年度の職場となる。翻訳でそれなりにやっていけそうな見込みが立ち、真剣に退職を考え始めた10月。新しくお手伝いに行っていた機関の先生から、フル勤務でこられないか?と打診を受けた。迷うところが多く、3~4か月お返事できずにいた。

それでも、最終的には家庭と仕事との両立をもっとも好条件でできる職場、という観点で判断した。それが、今回の退職だ。

ご縁とは、本当に不思議なもの。今まで想定もしなかった未来を、次々と運んできてくれる。これまでの人生、数えることが不可能な、非常に多くのご縁とご恩をいただいてきた。感謝しかない。そのご恩をどう返していくのか?私の人生で生きる目的はそこにある。世の中への貢献、というといきなり規模が大きくて、ぴんとも来ないけど。

ご縁をいただいたすべての人たちの人生が、より良いものになるように、その一助になりたくて、頂いたご恩を倍返ししたくて、それが自分の生きる糧。成長の種。

さあ。新しい場所を目指そう!私がもっともっと成長していけば、もっともっとご縁はつながり、ご恩をお返しできるんだと信じています。