子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

笑うが勝ち

昨日は大変な日だった。
水曜日から娘が熱をだし、育児をしながら何とか仕事をして、納品して、な日々で。
金曜は夫が休みだから仕事に専念できるー!と思っていたのに、
次は息子が耳が痛いと。急いで病院へかかると急性中耳炎の診断。
だから昨晩は全然寝ずに泣いていたのか・・・納得。

夫は昨日、一昨日と長野、青森出張のせいでか?風邪をひき声ガラガラ。このタイミングで体調崩すなんて…ひどすぎる。

こんな状態でも何とか仕事はやらないわけにいかないので時間をもらい、
仕事。そして仕事の打ち合わせで出社。保育園に寄り週末の荷物を受け取ったり、薬局で薬受け取ったり、目まぐるしく働いた後。すっかり元気な娘が児童館と公園に行きたいと、いうわけで体調不良ペアを自宅に残し、児童館へ。さすがに17時過ぎにはお外真っ暗で公園には寄れず。近くのサイゼで二人で外食。平日はもちろん、週末も夫いないこと多いから外食する機会がない我が家。娘はたまの外食に大喜びで食べまくる。
大人一人で未就学児2人と外食なんで地獄絵図ですからね。

帰宅。体調不良の夫のためなのか?部屋がめっちゃめちゃ。何?この荒れよう…ストレス限界に達したな、と感じつつここは無になろう。無視決め込もう。と。仕事ができただけ、息子がたいしたことなかっただけ、よかったと思おう。夫が体調不良なのに育児に励んでくれたことだけでも感謝しとこう。

そんな思いでなんとか21時には就寝。息子くん昼寝しすぎてぜーんぜん寝ない。元気いっぱい。ブ~で遊ぶのー!と薄暗い部屋で大きいのから小さいのまで走らせる。私、疲れ切ってるのに…横目で爆睡の夫。娘もやっと寝てくれた。あとはこの頭でっかちボーイだけ。

夜も22時を回るころ。娘がむくっと起き上がって咳き込んだと思ったら、布団に嘔吐。わたしに嘔吐。

なんか、この瞬間に心の中で何かが壊れた。

娘の心配より布団が汚れ、部屋が汚れ、吐しゃ物まみれの自分の汚れに愕然して娘に早く洗面所に向かいなさい!と怒鳴り散らす私。最低。
隣で寝続ける夫にさらに心神喪失状態になる。何もわからぬ息子はひたすら遊ぶ。

疲れてるんだな。完全に、崩壊。

のそのそと起きてきた夫が娘を介抱し、私が汚れものをひたすら片付け。全てが終わり冷静になり娘に悪いことしたなという思いだけで、涙が出てきた。
疲れがたまってたとはいえ、娘の心配より先に汚れを心配するなんて。しっかりしないとな。

育児と仕事と子育ての両立は過酷すぎる。さらに頼るべき夫はほぼ毎週のように出張で不在。実家の親は毒親。なんとか自分の心、考え方を変えていかないと。このままじゃ子どもたちに悪影響だ。

笑うが勝ち。物事シリアスに考えすぎるより、笑い飛ばすくらいがちょうどよい。
なんで自分だけが?という思いにならない。そういう思いは悲観的な自分をつくるだけ。なんでも、笑い飛ばすくらいがいい。

病気の娘と在宅仕事

一昨日から発熱で保育園をお休みしている娘。私の場合週2日程度は会社に出勤するけど、そのほかは在宅勤務なのでどうにかこうにか自宅で仕事をしつつ育児をする。

子どもも4歳くらいになれば「待っててね」とか「お仕事しているよ」とか話が通じるので、彼女が退屈しないように新しいおもちゃを買ったり、録りためた映画に頼りつつ仕事。幸い、熱はあるものの元気な娘と、翻訳仕事に追われているが納期にはゆとりがある私と、ほどよくいい時間を過ごせた。

買ったおもちゃはコレ!
Amazon スイスイおえかきシート
ねんどやだ、っていうので大至急購入してみた。これ、いいね。
長く遊べるし、夢中になってくれたので母は仕事に集中できました。

これが1歳の息子なら、こんな風にはいかない。すぐに「ぱいぱ~い」と授乳をもとめてきたり、そもそもパソコンに向かっていようものなら「ママあそぼ」とやってくる。
お話しが通じないから。

私の身近なママ友でバリバリフル勤務ママさんたちは病児保育サービスを利用する方も少なくはないみたい。私の場合はそんな勇気も覚悟もないから、なんとか家で育児しながら仕事する、っていう選択になる。ただ、この選択も決して楽ではない。だって、納期があるから「思ったように仕事できなかった」じゃすまないわけで、とにかく集中したい。納期に遅れない、っていうのは、トイレでちゃんとおしりを拭く、食後は歯を磨く、という次元であたりまえのことなのだ。また納期当日納品というのも余程のことがない限り避けたい。即納案件もあるから、絶対ではないかもだけど。常に相手の立場を考えて、仕事をするというのは、どの業界も同じですよね?

主にパソコンのみで仕事が完了する翻訳は、そういう細かなところに気遣いが必要だと思うし、そういう気遣いこそが次の仕事にもつながるのだと考えています。それこそ、翻訳精度がよい(最低ラインを満たす)のは納期に遅れない、ってことと同次元で必須ですけどね。

子どもがいるとこういう事態(病気で登園できない)は頻発するし、子どもが増えるほどその頻度は急激に増加する。だからこそ、日頃から早め早めに仕事に取組み、納期にゆとりを持てるようにする、あとは無理して引き受けない(正直にコーディネーターさんに伝える)、日頃から丁寧な仕事を続ける、なーんて書いてみればどれも当たり前のことだけど。当たり前が大事ですよね。

そんなわけで、今週は栄養セミナーという仕事があり、来週から講義クラスがまた増えたりと大忙しですが。週中に発熱してくれて、これ幸い!なのかも。講義やセミナーなど代わりを立てられない仕事に穴はあけられないからな。。。

4歳になると発熱なんて稀だから、こんな日こそべったり過ごしてやりたいなぁとも思わなくないが。楽しみは年末年始のスキー旅行にとっておいて。平時はコツコツと仕事と育児をやるしかない。あと手抜き家事を。

母親が仕事で成果を出すってかなりの努力、周囲の理解、段取り力が必要だと感じますが、できないことはない気もする。とはいえ、私自身模索中で、ことあるごとに「父親っていいよね。家出た瞬間に家事や育児から解放だよね。帰宅する頃にはご飯もできてて、子どもも寝てて、のんびりご飯食べたり風呂入ったり、テレビに爆笑してられるんだよね」って刺々しい言葉を夫に投げまくっている気がする。

夫と言えば、出張ばっかりの部署にいて昨日は長野、今日は青森、しかも基本は日帰り。大変だろうな~と思います。だからあんまり毒々しく、刺々しく夫を攻め立ててもなにもならないと思うきもち、でも誰かに胸の内をぶつけないと気が済まない妻です。

だから、こうしてブログに書きまくることはひとつのストレス発散ですね。

 

噴火寸前

夫は外で働き稼いで家族を支え、妻は家庭で働き家族を支える。というのは時代錯誤もいいところ。夫だって家庭で家事育児に励み、妻だって外で働き稼いで家族を支える時代だろう。それだけじゃない。夫は自分の将来設計を考えつつ、つまり仕事でのキャリアづくりを念頭に仕事をするし、妻だってそうだ。そうあっていいのだ。なのに、現状では夫は妻の家事育児のサポータでしかない。我が家についていえば、平日は帰宅が22時を回り、週末は金曜から土日で地方出張もほぼ毎週。たまに週末、日曜が休み。家にいるのは疲れ果てた夫。

出張が続いて疲れ果てるのはわかる。だからと言って「休ませろ」というのは、妻の役割について配慮がかけまくっているとしか感じない。だって、妻は仕事もしてさらに疲れて帰宅した体と心にムチ打って、子どもたちに夕食を食べさせて、お風呂に入れて、明日の支度をして、寝かしつける。で、寝落ち。

私の場合は、翌朝早朝から業務スタートなので寝落ちではなく、寝たくて寝ているのだけど。3時から6時までは仕事の時間だけど。授乳で2回は呼ばれて小一時間はかかる。その間、夫はただひたすら寝ている。アイマスクと耳栓をして。

不満が噴火しそうで、そのことを夫に伝えた。

「どうしてほしいの?」「どうしたら解決するの?」と聞いてくる。わたしにも問題解決の方法が良く分からないけど、とにかく疲労していることは確か。私は将来のビジョンを自分のために描いてキャリアアップしようと努力しちゃいけないの?

段々と悲観的になってきた。

子どもが母親を必要とするのはわかる。育児が苦痛、家事が苦痛、というような思いはさほどないんだけど。あるのはいつも「時間がない」ということ。仕事に追われていても、子どもが熱を出せば「お母さん、お迎えに来てください」。もう少し仕事を頑張りたい日でも「お迎えの時間です」。

私の場合、子どもとより一緒に過ごしたくてフリーランスの働き方に転向中(会社通いもしているから完全フリーではない)だけど。自宅で仕事できて融通きくでしょ?みたいなことも聞き飽きました。こっちは出社して、頭空っぽのままデスクに向かってりゃ給料もらえる仕事じゃない!!!!って鼻息荒くなりました・・・・。

こんな悩みを実家の母に話せば、「子どもが小さいうちは家にいたらいいじゃない」「いただいたお給料でやりくりするのが妻の仕事」というわけだ。べつにこういう考えなんだろうな、って思うだけだけど。私たち夫婦の考えは、両方働いたほうが金銭面的にも将来の2人のため(自己実現)にもよりいいよね!ってことだけど。

結果、私は家事と育児に追われていて疲弊しまくり、噴火寸前なのだ。これって、失敗なの?

子どもが一人のうちは何とかそれでもやっていけたけど、二人となるとそう簡単でもないというか。。。こっちが終われば、あっち、とひっきりなしに母は働く。夫に言わせると「母親だからそういう役回りなのは仕方ない」という。それも一理あると思うし、いつも父親は蚊帳の外というか、子どもたちからしても1番大好きなのはやっぱり母親なんだよね。

考えれば考えるほどドツボにはまり、不機嫌になっていく自分がいる。

なぜ?同じように働き、同じかそれ以上の収入という結果をだしていても、家事と育児は母親まかせなの?我が家は役割分担制で、夫は役割(朝の送り、食器洗い、ゴミ出し)をしっかり果たしてくれてはいる。それだけで、よし〇とするべきか。私が多くを求めすぎているのか。

家庭マネージメントの思索は続く。

懇親会の夜

昨日は久しぶりの夜な夜な外出だった。夜にプライベートな用事ででかけないから、夜の大都会なんて!!!てだけでウッキウキ🐵だけど。昨晩は翻訳者の集まりでした。

翻訳者と集まるとき、決まってみなさんハイパー優秀なので、
ここに、私がいていいの?
という気持ちになる。でも、昨日は社長さんから
「この優秀なお三方とこれからも仕事させていただきたいのでよろしく」
と、3人に私が入れてもらえてて、恐縮。ほんとに全然優秀じゃない。勉強が足りん。

これからは「優秀」のくくりに入れていただいても恐縮しないくらい、
もっともーっと勉強に励もうと決意を新たにした夜でした。本当に楽しかった。

これから20~30年後にはback to the future 的未来がやってくる!みたいな話になり、
翻訳という仕事が機械にとってかわられないために、どんな仕事をしていけばいいのか?真剣に、でも楽しく考え議論しました。

いろんなことを機械がやってくれる時代は必ず来る。そんな中でも生き抜くためには?
私自身はもちろん、子どもの将来を案じる一親として無視できるはずのない課題。
やっぱりそこには「人間らしさ」が求められてくるんでしょうね。そこに不可欠なのは結局「コミュニケーション」なんだと思う。

あぁ。いい夜だった。

ほしい未来は「自分」でつくる

昨日このブログを書いていたのに、いざ公開!ってぽちっとしたけど、接続状況の影響で?悲しくも消えた( ;∀;)再投稿する気力も時間もなく、本日また書いてる。今度も消えたら…辛すぎ。

昨日書きたかったことは、今やってる栄養セミナーの準備と、そして石井ゆかりさんの星占い最新版を読んでみての感想!で、セミナーは今日中にスライドとか進行資料を先方に提出する予定で、準備が大変で楽しい。いろんな学びがある。ひよっこ管理栄養士のくせにお金いただいて、セミナーを(しかも単独で)させてもらえるなんて。最高に恵まれているとしか言えない。

石井ゆかりさんの本の話でいえば、2018年から3年間の占いまとめ本を読んだのだけど。私の、誰にも打ち明けてないはずの心に決めていた予定が文章化されているようで驚きぶっ飛びオッタマゲー!だったのでした。そっと背中を押してくれる。そんな1っ冊。

そして、昨日書きたかった事。石井ゆかりさんの後に読んだ娘の恐竜図鑑が面白すぎたこと。何億年も前に、この同じ地球に何万年も恐竜時代があったことを改めて知ったりして、わたしの100年足らずの人生なんて、鼻くそ以下!って思うと悩み事が帳消し。くだらないことで悩んでないで、なんでもとにかくやってみよう!って思いに至り、いろいろな勝手にできたストッパーがオールクリアになっちゃった出来事でした。私の人生なんてクソみたいにちっさくて、地球の歴史で考えたらほんの一瞬にも満たないくらいの時間。わずか、ともよべない時間を0.1秒たりとも無駄にできるはずがない。だって、今年もあと1か月足らずですよ?

最後に書きたかった事は、タイトルにあるほしい未来は「自分」でつくる、という気持ちに強くつながった(ついでに、このブログのタイトルに引用させてもらった)ホームページを書き残しておきたかった。

“お金”が流通する「経済社会」ではなく、“心”が流通する「循環社会」を。地域通貨「よろづ屋」がつくる、ほしい未来とは? | greenz.jp | ほしい未来は、つくろう。

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このHPに行き着いた経緯は「家事を減らしたい」「洗濯もの減らしたい」「洗濯しなくなれば節水になり環境にも家計にも家事労働の負担にも優しい!!」⇩

洗わなくてもいい服、ある?

という思考展開からググってたら、greenz.jpに到着。
あぁ!なんて面白いのーーーーーーーー!ってあっという間に虜になって、そそくさメルマガも登録したし、ライターインターンもやりたい!やりたい!って前のめり。
知らないほどの罪はない。知らなかったじゃすまされない。知りに行くんだ!面白いことって、世の中たくさんたくさんありますね。無知です私。

今日、書いておきたいこと。

今週はいつもやってる翻訳の依頼がない!Σ(゚д゚lll)ガーン?または(*ノωノ)happy?
どちらでもあるんだけど。どちらにも感情を奪われずに、
空いた時間を有効につかおう、と思ってとにかく手帳に第2領域
事項を書きまくりました。
(7つの習慣:緊急度の低い重要なこと)

でるわでるわで22項目!細分化するとさらに40項目にまで。
毎日仕事に追われてるだけじゃ、だめですわ。

そんな感じで、第2領域に積極的着手ー!

 

 

 

愛することは難しい

ブログを書きたいと思いながら随分と日が経った。

書いておきたかった事がちょっとぼんやりしてきちゃったけど、、、気持ちを思い出しながら書いておきたい。

10代後半から20代前半にかけて、とっても遊んでばかり、親に心配かけてばかりの時期だったと思う。ライブハウスへ夜な夜な出かけては帰宅しない、彼氏のバイクに乗りドライブ、その影響でバイクの免許を取り1時間半かけて大学までバイク通い。ホッケーを始める。毎晩遅くまで練習三昧。20歳になった時に家を出て、同棲スタート。成人を記念して初めての海外旅行はインドへ2週間。そして22歳で病気になり入院。ちーん。

本当に自分のやりたいようにやってきた。病気になったことで、こういう自分の自分勝手な行いがSLEという病気を招いたし、死にかけたし、周りにすごく心配をかけたと思ってきた。だから自分の過去について、楽しかったけど迷惑かけて親に心配かけて申し訳なかったぁ…と思い続けていた。

そして、結婚して人の親になりさらに「心配かけて悪かったな」と思うことが多かった。親からも子育てについても「だから言ったのに…」みたいな予言的アドバイス?ばかりで、だんだんと親の言う通り、親の肯定的意見がないと前向きに始められない、自分が少しずつ形成されていたきがする。

だから、親が悪い!という話にしたいわけではなくて、すべてのことは「意味があること」だったんだと、今思っていることを書いておきたい。そして、親という存在、特に母親は子どもにとって計り知れない影響力を持っていることが多い。だから、私自身が親として子どもを自分の心配心から縛るような親にはなりたくない、と強く思っている。どの親も、きっと愛しているかたこそ、そうなりがちだと思うから。

子どもができないことには手をかす、お金も出す、時間も可能な限り出し惜しまない、とは思っているけど、そのことと自分の自分の心配、自分の欲求をごちゃまぜにして子どもを束縛しない、と心に強く誓いたい。

なぜなら、私の母親はそういう今でもそういう母親で、心配かけてきた私が悪いと思ってきたから。

でもたぶんそれは違う。

心配をかけてもそれは悪くない(心情的には理解できるけど)。心配かけるようなことするなよ、という制限をかけると子どもはきっとその枠の中でしか大きくなれない、なろうとしないかもしれない。心配かけたくて、興味のままに進んでいるわけじゃない。母を困らせたくて、その選択をしているんじゃない。そのときは、そうしたかった、ただそれだけだ。バイクに乗ると、事故にあうリスクが高まる。深夜遊びは悪い人に絡まれるリスクが高まる。やっぱり私も親だから、リスクを下げたい一心はよーくよーく分かるんだけど。私自身には、そういう縛りを子どもにしないように肝に銘じたい。

親に心配してほしくて子どもが危険を選択するのは、愛情が不足していることが多い。
心配かけたいわけじゃないけど、やりたいことを自ら選び取って生きていくのは自律している証拠ではないのか?だから、危険性を知らせることはしても、その選択を否定することはしない。しかも影響力ある母親が「危ないからやめて」といえば母親を大好きな子どもは「母を悲しませたくない」となりかもしれない。でもこれは母親のエゴでしかない。

つい先日、Youtubeで10代のときに知り合った友達がバンドで有名になっている人たちの動画を観た。変わらない、当時と何も変わらないなぁ~って感じ。ただひたむきに、やりたいからやりたい音楽やってる、っていう潔さ。ついてきたいやつ、ついてこいみたいな媚びない姿勢。懐かしさと、Youtubeに知ってる人たちの動画がバシバシあるってことに不思議な感じを受けながら、すごく元気がでてきた。

好きなこと、好きなように、思いっきりやっていくとこうなるんだな。って育児の教えにも使えそうな教訓。私はどうだろう?好きなこと、好きなように、思いっきりやってるだろうか。

先日、地元で買い物中に10代の頃にすごくお世話になった、当時付き合っていた人で将来を誓い合った相手のお母さんにばったり会った。偶然。2年前、私が第2子を妊娠中にもばったり会って、そして今回会ったとき、付き合ってた相手がいよいよ結婚して子供をもうけたという報告を受けた。幸せになったんだ、と知って嬉しくてうれしくて、不思議な気持ちが続いてる。私から別れを切り出して、もう一生会えないと言われて友達に戻ることはなかったけど。幸せな日々を送っていることが嬉しかった。そして、相手のお母さんが一言「何一つ無駄なことはないってことだよね、本当に。」と話してくれた。それを聞いたとき、今までは自分の過去なんて親に心配ばかりかてろくでもなかった、と感じてきたけど。あの頃はあの頃で精一杯いきてきたんだったなぁ、と思い出してすごく救われた気持ちになった。

自分の過去を否定的な気持ちで思う必要なんて、全然なかった。

だって、過去がないと今はなくて、今の幸せな日々は過去の時間があってこそだから。
親を責めたいという思いではなくて…「心配」という正当っぽい言葉で、わたしは子どもを縛り付けないようにしようという教訓を得た。反面教師ともいうのかもね。

自分の過去を肯定できたとき、未来に向かって生きる活力がより一層湧いたように感じた。それと同時に、母親の影響力って恐ろしいから、その事実を心しておこうと思い改めた。子どもには自由に、自分の意思を、考えを、心を信じて生きてほしいし、親がエゴでそれを摘み取るのは最悪。

でもね、心配する気持ちはやっぱりよくわかる。親だもの。愛する子になにかあったら、取返しが付かないことになったら、、、でもその心も、自己愛かもしれない。本当に愛するということは難しい。崖から突き落とすほうが、愛かもしれない。

 

 

いかにして生きるのか

命あるもの、いつかは必ず死ぬ。誰しもが死に向かって、毎日を生きている。でももしかしたら、その日はある日突然、何の前触れもなくやってくるかもしれないし、それがいつなのか誰も知らない。

22歳の時に「あと2、3日がやまです」と言われた日から約14年。おかげさまで、毎日元気です。持病とは上手に仲良くできている。でも死にかけるほど悪化したのに、その後1度も悪くなったことがない。これまで2度の出産があったのに、だ。ありがたいという言葉じゃあ足りない。

命が終わらなかっただけでなく、そのあとの回復も素晴らしかったそうだ(家族から聞いた話で記憶なし)。人生が終わりかけてる病院のベッドの上で強く思ってたことは「まだ死ねない。絶対死ねない。死ぬわけにいかない。」ということばかり。22歳っていう、若さ全開で何やってもハッピー!みたいな?時期を病院で過ごし、退院後も1年は自宅療養とリハビリ生活だった。もう14年近く前なんだな。驚き。

先月36歳になり、アラフォーかぁ…と先の人生に思いを巡らせあれこれ考えていたけど。日本人女性の平均寿命は86歳、健康寿命は74歳くらい。かりに平均寿命まで生きたとして残り半分の人生で、健康寿命を考えると40年くらいしかない!!!!みたいな気持ちになっています。事あるごとに。

死にかけた後、私の人生は大きく大きく変化した。生きることにすごく貪欲になり、仕事でもプライベートでも120%全力で生きていた。病期を支えてくれた母からはいつも「そんなに生き急ぐな。また死にかけるよ。命を大事にして。」と何度となく言われてきたけど、120%全力で生きることの、どこが「命を大事にしていない」のかわからない。まぁ、それくらい心配かけてしまったことは十分理解しているつもりだけど。

『人生一度きり』って本当だな、ほんとに人は死ぬんだな、と生死をさまよう経験で実感したから、のんびりなんてしちゃいられないー!っていつも心がいってます。

いかに時間をつかうのか?

それが私の中心テーマになっている。この人生を生き抜きたい。やりきった!という思いで最期を迎えたい。そんなことを思うくせに、くだらないことで悩んだりもする。人生はやっぱりくだらないのかもしれない。全てはただの暇つぶしなのかもしれない。たとえそうでも、生きているうちにしたいことは増えるばかりで。

会いたい人、行きたい場所、食べたいもの、たくさんたくさんある。
夫と子どもたちと出会ってからは、with themって感じでやりたいことはうなぎのぼりに増加中。だから、いつもやりたいことリストがめーいっぱい埋まってて。いつでも必ず自分にきく。

その時間は有効か?

生きてる時間は有限。これって忘れがちだけど、どんなことも何一つ永遠じゃないのよねー。だからいつも「〇〇を▲▲までにやる」といった期限付き目標が手帳にリストアップされてる。こんな生き方をしてると「バイタリティがあるね」「エネルギッシュだね」とかなにかと「頑張ってる人」分類されるけど。ぼーっとしてるのが苦手なだけなのだ。ゆるゆるのんびり生きていけない症。

それでも子どもたちが大学に進学したら、夫と2人で軽井沢へ移住すると決めています。のんびりを求めて、というよりは緑に囲まれて、やりたいように仕事をすること、生きたいようにいきることをもっとしたいから。18歳過ぎたら家を出し、それぞれ一人暮らしをしてもらうこと、は夫が決めていること。そう思うと、子どもたちと過ごせる時間なんて、育児させてもらえる時間なんて、あと15年もないなと思うと毎日が宝物。

やっぱり時間だ。時は金なり。

 

明日死ぬかのように生きよ。

永遠に生きるかのように学べ。

ガンジーも言っている。