子育てと仕事と家事と…

3足のわらじを果敢に履きこなそうとする日々の記録

自信がほしい

昨日職場でセミナーがあり、多くの外国人が集まった。とっさの英語がぜーんぜんでてこずで、困った。

例えば、写真撮影の「はいチーズ!」とか。「Say cheese」なのかな?
それから「Tパックをお取りしましょうか(コップのなかに入れっぱなしの)?」とか。「Would you like me to pick out  your tea pack?」なのかな。全然出てこず。ジェスチャーで対応。スピーチとか一人の人がベラベラ話している内容は少し聞き取れるし、ビジュアルエイドがあるから内容は理解できる。でも、マンツーマンの会話では完全にバカ丸出し。あぁ…自信がなくなる、、、というかもともとできてないから自信もなにもないのか(笑)

学歴コンプレックス、については最近とあるチャレンジ系?番組でも有名大学への受験チェレンジでよく聞いたことばだけど。わたしの周囲の人々は高学歴者しかいない。研究者ばかりだから当然だけどね、それに対してコンプレックスなんて感じない。そこじゃなくて、教える仕事に就いていると、知識の不足さ加減にもっと勉強しなきゃー!となり、学歴が…に気持ちが至ってしまうのか。

いずれにせよ、英語を自由に扱いたい。仮に私は翻訳者。しかも、つい先日
翻訳トライアルに合格した。だから、契約先数でいえば4件。それぞれトライアルを経ての契約だから、翻訳に必要な英語レベルはある、のかもしれない。たまたま4件合格することはないだろう。会話に必要な能力は聞き取り発話だから、別物。

英会話の筋肉が足りません。夫からずっとライザップイングリッシュを勧められている。本気で検討してみようか。

自信とは、自分自身の価値や能力を信ずること

英会話ができたからといって、大学院を卒業したからと言って、自信が生まれるとは限らない。むしろ、高すぎるハードルなら自信を喪失してしまうかもしれない。
じゃあ、どうすると自信をもてるようになるのか?私に足りない自信を補うためには、まず「正直に自分と向き合うこと」なのかもしれない。

ゼロからイチへ

「噓から出た実」
と、夫は言う。私も同感。でも、ちょっとこの言い方は嘘つき呼ばわりされてる感
があるから、もう少し言い方を変えて
「千里の道も一歩より」
にしておこうかな。

何の話かと言えば、私の現状を示す言葉。

もともとはろくでなし?だったのだけど、今はそのろくでなし時代には想像もしな
かった場所にいるし、その先に向かおうとしている。
ヤンキーが政治家になる話ほど、畏れた話じゃないけど。

SLEがきっかけであの世に行きかけ、人工呼吸器に助けてもらい、なんとか生還!
だがその後は無職になり、社会生活復帰は無理!と医者に言われた22歳。
海外留学の夢半ば、近所のジムで朝からリハビリに励んで、今後の人生どうしよう?
と思っていたのだ。それでも、生かしてもらえてありがとう!!!って気持ち
が先立っていたから、決して「お先真っ暗」とは思ってなかった。

ジムで友達ができ、順調にステロイド服薬も減り、体力も回復して、というまで1年はかかった。

人並の生活に戻ってきた24歳、海外留学の夢を思い出して英語の勉強に励み
翻訳会社にパート勤務として採用された。そこから、いろいろなことが
変化してきた。

翻訳会社に勤務していた期間は4年間。たくさんの素晴らしい出会いに恵まれ、わたしも必死に勉強して、フリーランス翻訳者として某社に登録。会社を退社した。
とはいえ、英語だけで食べていけるのか?という自分の能力に自信がないこと、20代そこらで、自宅にこもって翻訳ばっかしてていいの?もっと社会とかかわったり、専門分社を磨いた方がいいのでは?という思いがあった。私の専門は栄養学。でも翻訳分野は工学系。ここ、もっとどうにかならないかな?と思っていた。

そこで研究所の非常勤職員へエントリー。栄養士免許があって英語得意な人、って枠だった。英語は得意じゃないけど、、、と思いつつの応募。見事、即採用。
そこから7年勤務することになるなんて、夢にも思いませんでした。

7年間、兼業翻訳者をしてきた。外勤と在宅との両立は本当に大変だった。納期に追われていても出勤。なんとかやってきた、という感じ。研究所の仕事は面白いことばかりでもないのだけど、いろんな人に出会えて、いろんな発見があって、とても刺激的だった。

7年間のうち、非常勤講師の職を得た、夫を得た、管理栄養士の免許を得た。

非常勤講師の職は、所内関係者からのおさがり業務。夫は所内先輩のお友達であり、私の大学後輩。合コン的なやつではなく、普通の飲み会で、先輩の友人として出会った。あー不思議。

そして、入所当初は全然思ってもなかったけど、管理栄養士になった。大震災がきっかけだった。

結婚後、2人の子供を出産。非常勤職員でありながら、2度も産休もいただき職場復帰。昨年3月からは、所内関係者からの依頼で、栄養関連の翻訳をやり始めた。そして、所内関係者の依頼のもと別の研究所へも並行して勤務開始したのも昨年度。

いろいろ検討して、今年度で長年お世話になった研究所を退職し、新しい研究所のみに勤務することを決めた。そして、大学院を目指している真っ最中。

なんか、履歴書みたいなブログになったけど。いま、研究テーマについていろいろ詰めていて、研究室訪問に向けて動き始めた。研究者を目指しているのか?といえば、NOだけど。栄養学をもっともっと極めていきたいな、という気持ちだ。

人生ってよくわからんですね。
でもすべてはやはり「みなさまのおかげです」に尽きると思う。
私の力じゃ何一つ実現できなかったんだと思う。本当に。
だから、人に尽くしていきたい。
必要としてもらえるならば、全力で応えたい。
そこで、心からやりたいと思えることを全力でやっていきたい。

すべては「NO」と言わない、私から始まっている気もする笑


年度末のまとめごと

2月3月は仕事の忙しさも一段落。来年度に向けて、振り返り・まとめ・改善の時期へ。
この時間をじっくり過ごせることが来年度の良い仕事につながるから、とっても大切。


それに先だち、昨日は上司に退職の報告をした。なんだか、ドキドキしたし寂しい気持ちにもなったけど、自分の決断に自信をもって進みたい。
これで、2つあった非常勤勤務が1つになった。しかも通勤は自転車圏内。フレキシブルな働き方ができて、なおかつ近くて、やりがいもある。1つめの勤務先は8年目勤務になるから、寂しい気持ちが大きいけど。上司には感謝しすぎて言葉もうまくまとまらない。どうやってこの気持ちを伝えられるのか。新しい上司にもいつも感謝の気持ち。わたし、上司に恵まれるんだな。ありがたい。

〇講師業について。今年が6年目。何気に長い。他の仕事をしながら講師業を充実させるためには、もっと仕事をやりやすくする必要がある。これまでは経験の浅さから、毎年のようにスライドを変えたり、授業内容の見直しをしてきた。でもこれからは授業内容の見直しはするけど、基本事項は維持する方法でやれば、もっと安定した講義につながるし、他の仕事とのバランスもとりやすくなるはずだ。来年度はさらにもう1科目担当講義が増える。つまり、5クラス!!!これはもう専任教員の域じゃぁ…?(笑)だからこそ、よりシステマティックに授業運営できるようにする。

<やること>
・授業計画書を見直す、まとめる
・汎用可能なような資料作りに努める
・ファイルの整理
・授業運営計画を見直す、まとめる

 

〇翻訳業について。こちらはめでたく8年目。ここまでやってこれるなんて、正直思ってもみなかった。無名の産業翻訳者だけど、これまでの特許に加え専門にしたかった栄養・食品に関する分野にも翻訳範囲が拡大した2017年度。ありがたいとしか言いようがない。事業拡大にも精力的に取り組んだ。結果として、ある会社の専属で仕事をいただけるようになり、かなり収入は安定した。代わりにかなり多忙になってきた。それも半年が過ぎてだいぶ慣れを感じるようになってきているし、コツも得てきた。だから、また新規拡大のためトライアル受験真っ最中なう。翻訳からの収入を全収入の2/3にしたいから、安定かつ長期的に仕事がもらえる環境づくりは重要。幸い、現在お仕事いただいている3社はすべて長期的安定受注が見込める会社だから、あとは自分のスキルを磨き貢献度を高めることに集中するのみ。2018年度は新規開拓2社を目指したい。現在トライアル中の1社を確実にものすることがまず最優先。そしたら、もう1社トライしたい。あとは事業拡大と並行して、スキルアップを頑張りたい今年。特に大学院の入試に向けた英語力の証明はマストだからね。TOEICと英検です。
<やること>
・トライアルで合格する、まず1社。そして、もう1社。安定受注先を5社にする。
そしたら維持モードに入る。
スキルアップのために英検、漢検TOEIC、工業英検、検索スキルをみにつける
→英語力を証明し、信頼アップにつなげる、大学院入試につなげる
・精度向上、システマティックな運用について検討・実践・見直しを行う仕組みづくり

 

〇栄養セミナー講師について。2年目。ありがたく、今年度も依頼をいただいた案件。
去年はとても苦労したり、かなり力を入れて取り組んだ仕事の1つ。その結果が2年目の依頼につながったのだと思う。だから、もっと研究が必要だし、工夫が求められるかな、と思っている。昨年度はそのまんまカードという教材を用いて、色と数をポイントに置いたセミナーにした。大変好評だった。対象者が知的障がい者ということで、一般対象者よりも違う視点での工夫が必要だったと感じている。その分野についてもより勉強が必要だな。
<やること>
・今年度の対象者の確認
障がい者福祉に関する勉強
・セミナーの振り返り

以上が、仕事関連。

ここからは、育児と自己研鑽について。

〇育児について。娘はまもなく5歳、息子はまもなく2歳。娘の小学校進学についてあれこれ検討を重ね、現在の家に引っ越しを済ませたところ。お金にシビアな夫はずっと「もっと先(時期的に)の引っ越しでも進学には問題ない」という主張だったけど、機会ロスを押して今に至る。結果的に、引っ越しや進学が重なると精神的負担につながりかねないので、特に子供のことを思うならゆとりある時期に引っ越せたのは正解だと思う。それに伴う金銭の負担は必要経費だとみなせる範囲だ。5歳になる娘。今は学習塾、プール、英語、体操、と適度に習い事を頑張りつつ、親としては中学受験を念頭にとい思いがある。息子については、とにかく絵本をたくさん読み聞かせ、外遊びをたくさんして、体を丈夫に!という思い。子育てについては、やりたいことが多い。いっぱいあるけど、できることから初めて、継続が大事なことは続けられる仕組みを作る。仕事もあるから、仕事をいかに効率的にやるか、が育児への時間のかけかたにも、心のゆとりにも影響する。

<やりたいこと>
・今後は、英語に関する学習方法の見直し(短期で親子留学とか、オンライン英会話とか)をして、DWEの活用も始めたい。
・ピアノかバイオリンか、音楽を一緒にやりたいし、ミュージカルやオーケストラに触れ合う機会ももっと増やしたい。
・絵本の読み聞かせを毎日続けたい。
・小学校進学にむけ、読み書きの練習も積極的に取り入れたい。
・登山やキャンプ、自然との触れ合う機会を多く持ちたい。
・さまざまな人と関わる機会を増やしていきたい。
・子供が興味をもっていることを深める手助けをしたい。
・海外に連れていきたい。

〇自己研鑽について。やっぱりここは、大学院進学。現在大学を休学中だけど、
今年度は復学するか検討して、来年度の受験に向けて準備を始めたい。まずは研究室訪問だよね。3月上旬には行けるようにもう少し研究室と研究内容について調べて、周囲への助言もいただきつつ、具体的に行動する。
<やること>
・大学への復学の必要性について検討する。
・研究室の研究内容についてさらに調べる。
・研究室訪問について打診する。
・周囲の先生に相談する。

最後のおまけに、家事について。

新しい家にきて、まだ片付けは40%は残ってるけどね・・・広い家、快適!家事もはかどる。収納について考えるのも楽しい!でも1ついやなのは、洗濯物畳むこと。たたまない収納について、検討してます。畳む時間がもったいない。どうにかしたい。全部をたたまないのは難しいから、たたまないで済むものはたたまない。とにかく、家事を減らしたい。そのためにも、収納はアクセシビリティを高める。こまめに掃除する。「こまめ」「ためこまない」が重要ですよね、ってつくづく。家事まで手が回らず、結局ため込み、後々いやー!って思いながらまとめてやる悪循環が続いてます。

<やること>
家事の問題点を洗い出し、具体的解決行動につなげる

今日はたっぷり書いた。

 

 

ざわざわ感が後ろを向かせる

新居にきて早4日。まだまだちっとも片付かないけど、それでもイライラしない。
昔の家では汚れてる、脱ぎっぱなし、出しっぱなしがとても目について、癇に障って、
いつもイライラしていた気がする。それは家のスペースと物の量が合ってなかったなんだろうな。それでも、月1ペースで断捨離してたけど。4人家族にはやっぱり限界のスペースだったに違いない。

ご近所づきあいも、最初こそどうしたらいいの?ってよくわからずにいたけど、
引っ越しの時にはケーキを焼いてお別れに来てくれたり、番号を交換したり、案外楽しくやれてたんだな…って思った。

仕事をしながらなので、ちびちびスローペースで片付けしてるから、なかなか片付かないけどね。でも保育園にも近いから、雪が降ろうと雨が降ろうとへっちゃらだー!

新しいことを始めるときの胸のざわざわが続いてる。

このざわざわ感が苦手で、昔の方向に向こうとしちゃうっていうか。昔はよかった、みたいな感じになる。狭い我が家に帰りたくなったり、死んだ友達を何度も思い出したり、とにかく良い悪いにかかわらず過去に気持ちを向けちゃう。こうしている間にも、新しいことに取り掛かればいいのにな。前向こう。

新しいソファを探そう。インテリアや整理整頓も考えよう。
障がい者向けセミナーも2年目の依頼がきた。ありがたや。
新しい講義の準備しよう。
翻訳事業を拡大しよう。
大学院進学の準備しよう。
英検受験の準備しよう。
とにかく部屋を片付けよう!!!←これだわ、まず。

ざわざわ感を無視して、前向こう。

ハロー&グッバイ

昨日、なんとかお引越し完了!!!

年明けのあわただしい中、年度末のハイパー忙しい中、仕事を全然
休めなかったけど…なんとかお引越しが完了しました。夫の頑張りのおかげです。

以前のおうちは娘が生まれる前から住んでいた、夫と初めての生活をスタートさせた
思い出深い家。ご近所もファミリーが多くて、初めはママ友とか面倒臭い、とか
思ってたな。

5年間住んで、子供は二人になり、自然とご近所ママたちとも仲良くなり
楽しく快適に過ごしてた。でも2DKの部屋に限界を感じてきたのは、
私の働き方が自営業になってから。仕事環境を整えないといけない、
大事な資料がたくさんあるけど、安全に管理できない、、、
ほかにも子供たちの進学先の課題とか、保育園の送り迎えの疲労感とか
いろいろ大なり小なり課題があり、今回の引っ越しへ。

新しい我が家は子供たちが走り回っていても全く気にならない、仕事部屋もある、大きな公園が徒歩5分圏内、保育園まで徒歩1分、駅まで徒歩7分の、これまでの課題をきれいにクリアしてくれるおうち。

うれしいし、わくわくもする。でも、昨日までの家をすでに懐かしく、恋しく?思うこの気持ちは、いったいなんだろう。グッバイ、はいつでもこういう気持ちだ。

年度末は「ハロー」「グッバイ」が重なる。

新年度に向け、昔からいる職場を「グッバイ」する予定。そして今年度からの新しい職場への勤務日数を増やしたり、新年度から担当科目が増えることになったから、「ハロー」も待ってる。

こういう、ふわふわした、なんとなく不安定な心地。いつも同じ毎日が続いていれば起きなかった、感じなかった。でも先に進んでる、新しい未来を信じて進んでいるときの気持ちだな、これ。

新しい我が家をどんどん快適にしたいなー!新しい担当科目の準備もどんどんしなきゃ!新しいに向かっていく、それがハローグッバイ。

早起きは三文の徳?

昨日、一週まわて~のTV番組で枡さんの話を聞きながら、
早朝からせっせと仕事に励んでいる人って、わたしだけじゃないんだ!と、
当たり前なことを今さら感じつつ、勝手に共感したり、仲間意識が芽生えたり
励まされたりしていました。

わたしも毎朝3時から夕方16時まで仕事(途中、家事育児を含む)。16時30分には子供たちを迎えに行き、帰宅してからは育児と家事に専念して21時までに就寝。

こういう早起き仕事生活は結婚前から始めているので、もう10年くらい?になるけど。
全く苦痛はないどころか、朝の静かな時間に仕事をしたり、のんびり考え事をしたりと
優雅でお楽しみの時間でもある。

こういう生活サイクルは結構特殊なのかもしれないから、あまり人様に話すこともないんだけど。16時以降は育児に専念できるし、子供との時間も私が思うように確保できているとは思う(もっとやりたいことはあるけどね!)。

世間の常識から外れているのかもしれないけど、とても私には合っているし
これからもずーっとこのスタイルだと思う。
枡さんも「楽しくお仕事しています!辛くないです!」とおっしゃっていましたが、激しく同感°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

早起きのおかげで、10文くらいは得してる。

ありがとうを伝えたい

実家の両親が引っ越して、妹家族と同居することになった。

これまで我が家と実家は同じ区の、同じ地域に住んでいた。我が家は1丁目、実家は3丁目。まさに「スープの冷めない距離」ってやつ。

私の父は孫キチで、なんでも買い与え、なんでも(あげたくないコンビニ飯やお菓子類など)食べさせる。ことあるごとに、暇さえあれば我が家にアポなしで遊びに来ては、私を困らせ、子供たちをわくわくさせていた。

新しい実家は我が家から電車と徒歩合わせ40分ぐらい先にある駅に住みはじめた。
電車こそ乗り換えないから、楽ちんだけど。駅徒歩15分はなかなか遠い。

昨日、子供たちと児童館へ出かけた帰りに、誰もいない旧実家へ行ってみた。

3LDKの賃貸マンション住まい。私がSLEを発症して、闘病して退院するとき、当時付き合っていた人と住んでいた家を離れ、実家に戻ることになったのだけど。半年ちょっとの入院、うち3か月は寝たきり状態だったので、杖なしでは歩けなかった当時。大きなベッドが必要で、以前までの実家から引っ越すことになったのだった。

出戻りで、しかも一度は死にかけて、迷惑も心配も山ほどかけたてきたな。

昨年11月くらいには母親の物言いですごい激怒していた私。心配するあまり、そんな物言いになったことも、不器用な人だということもわかってはいるけど。心配するあまり、子供を縛り付けておくことは親にはできないし、だから私は20歳ですぐに家を出たかった。親の干渉がうっとうしくて、早く自力で生きていきたかったんだ。

そこからSLEになって自宅に戻ることになるまで、約2年ちょっと。SLEになって自宅にもどってからは結婚するまで8年近く住んだ我が家。もうないんだな、ということを目でみたら無性に寂しくて、いろんな気持ち、いろんな思いでが全身を駆け巡るようで、止まらない時の経過を感じざる得なかった。

それと同時にわたしはどこまでも自立ができてなかったのかな、と思った。

だから、自立すべく背中を押されたのかも。頼れる実家が近いことは本当に頼もしく、育児につかれたときの心の憩いでもあり、迷惑に感じているときも多かった父の孫キチ振りも、今となってみればありがたく、懐かしい。

って、死んだわけじゃないのに笑。

こういう寂しさを味わうことはわかっていたから、去年の夏ごろから少しずつ実家に出向く頻度を意識的に減らしていた。そのことは、今の自分を助けてくれていると思う。
寂しさは和らいでいると思うし、育児についても、ワンオペ育児もマスタークラスだと思う。

毎週末のように、地方出張で夫がいない。平日は22時以降の帰宅。私は在宅翻訳者兼非常勤職員で、仕事をまったくしない日なんてないのだ。でも育児もしっかりやりたいっていう、やりたがりぶりで。手抜きが苦手なタイプ。

そんな自分を支えてくれていたのは、心の拠り所になっていたのは、やっぱり近所にある実家の存在だったな。ありがたかった。ありがとう!ありがとう!ありがとう!

たくさん、ありがとうを伝えたい。

次は我が家が引っ越しの番。保育園にも小学校にもめっちゃ近くなるし、大きな公園まで5分圏内。寂しくなったら、緑の中へ出かけてリフレッシュして、気持ちを切り替えたい。